古楽の記事一覧

  • 2019年4月12日

    湖東・湖北 ふることふみ 55
    高野瀬氏 まち・文化

    高野瀬城趾の碑(犬上郡豊郷町高野瀬640)  近江は日本史上もっとも長い期間重要な経済大国だった。それは政治の中心が関西であったためであり、その関西圏から東国へ向かう場合には近江を通過しなければならなかったからだ。細かい話は別の機会に紹介するが江戸時代より前は日本の経済の半分は近江を通過している。  その近江... 続きを読む

  • 2019年3月14日

    湖東・湖北 ふることふみ 54
    将門伝説と平流山 まち・文化

     平将門の首は歌詰橋近くに埋葬されたとの伝承があり、現在は山塚古墳と呼ばれている。  しかし関東から近江まで首だけになって飛んでくるような将門の怨念がそのまま塚の中で大人しくなるはずはなかった。昭和48年に発刊された『日本の首塚』(遠藤秀男 雄山閣出版)には愛知郡千枝村の将門首塚伝説として「空をとんできた首が落下... 続きを読む

  • 2019年2月13日

    湖東・湖北 ふることふみ 53
    歌詰橋と将門伝説 まち・文化

    歌詰橋の碑  中山道の宇曽川に架かる橋は「歌詰橋」と呼ばれ、その名前の由来はよく知られたものであるが改めて紹介したい。  天慶3年(940)、平将門は関東で新皇を自称し京都の朝廷から独立した国家を作ろうと挙兵した(平将門の乱)が、藤原秀郷に討たれた。秀郷は京に凱旋するため東山道(後の中山道)を進んでいると将門... 続きを読む

  • 2019年1月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 52
    明治維新の彦根藩 まち・文化

    桑名城開城時に焼かれた辰巳櫓址  第二次長州征伐は彦根藩にとって大敗を喫する戦だったが幕府にとっても将軍徳川家茂の死で停戦せざるを得なくなる汚点となった。歴史は大きく動き1年後には大政奉還が行われるが、その間に彦根藩も大きく動いた。  まずは井伊直弼存命中には、直弼との意見の違いから江戸藩邸で軟禁状態に置かれ... 続きを読む

  • 2018年12月12日

    湖東・湖北 ふることふみ 51
    小瀬川の戦い まち・文化

    小瀬川古戦場(大竹市)  桜田門外の変以来、幕府に冷遇されながらも幕府方として戦い続けてきた彦根藩だったが、幕府方としての最後の戦いとなるのが第二次長州征伐において芸州口の先鋒を務めたことだった。  彦根藩は天狗党の上洛を阻止するために出陣していた頃、多くの藩は第一次長州征伐に加わっていた。これは禁門の変の責... 続きを読む

  • 2018年11月16日

    湖東・湖北 ふることふみ 50
    天狗党の乱 まち・文化

    天狗党の墓所(敦賀市)  禁門の変が起こっている頃、江戸の近く水戸藩では長州藩の挙兵に匹敵するくらいの混乱が起こっていた。天狗党の乱である。  水戸藩は光圀が勤皇の意志を示して以来、家臣たちは佐幕派と勤皇派に分かれ、血で血を洗う政権争いが行われていた。幕末になり諸生党(佐幕・門閥派)と天狗党(勤皇)に分裂し、... 続きを読む

  • 2018年10月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 49
    禁門の変 まち・文化

    井伊直憲が護衛した朔平門  幕末から明治維新の政治舞台は京都であるとのイメージがある。しかし京都が政治の中心になるのは禁門の変以降であることはあまり重視されない。大河ドラマ『西郷どん』を観ていると、島津久光に冷遇され遠島になっていた西郷吉之助がいきなり薩摩藩の主要人物になっているように感じるが、実はここには大... 続きを読む

  • 2018年8月15日

    湖東・湖北ふることふみ 47
    堺南台場 まち・文化

    彦根藩が築いた幕末最大規模の「堺南台場」  桜田門外の変から明治維新まで7年の期間がある。私たちは彦根藩が井伊直弼暗殺後に何の動きもないまま明治維新を迎えた様に感じている。しかし、この間にも彦根藩はたくさんの苦悩があり歴史の舞台のちょっと脇を歩んでいた。今回からそんな幕末維新の彦根藩の姿を現場ごとに追ってみた... 続きを読む

  • 2018年7月13日

    湖東・湖北 ふることふみ 46
    川瀬太宰の妻 まち・文化

    川瀬太宰邸址(大津市)  山本周五郎の短編集『日本婦道記』の完全版が文庫化された。戦中戦後に武士の妻を主人公にした女性の生き方を描いた作品であり直木賞候補にもなったが、周五郎自身が受賞を辞退(山本周五郎は文学賞の受賞を生涯辞退し続けた)したため幻の直木賞作品とも言われている。完全版と言われるのは婦道記の意向で... 続きを読む

  • 2018年6月15日

    湖東・湖北 ふることふみ 45
    桜田門外の変(後編) まち・文化

    桜田門外の変を描いた絵葉書 / 個人蔵  当事者たちにとっては長い時間だったであろう桜田門外の変も時間にすれば十分にも満たなかったとされている。  前稿で行列の日雇い仲間が一番に逃げたという説があることを書いたが、私は何年か前に『柘榴坂の仇討』という映画の中で桜田門に向かう彦根藩の行列にいた仲間役をいただいた... 続きを読む

  • 2018年5月14日

    湖東・湖北 ふることふみ 44
    桜田門外の変(中編) まち・文化

    萬延元年に発刊された『袖玉武鑑』(携帯できる武鑑)/ 個人蔵  江戸城からの太鼓を合図に、大名たちの登城が始まった。  ドラマや映画を見ると行列はゆっくり歩みながら進むイメージがあるが、実際の行列は駆け足だったと伝えられている。江戸時代は基本的に平和な長期安定政権だったが本来幕府という組織は武士が軍事行動中に... 続きを読む

  • 2018年4月10日

    湖東・湖北 ふることふみ 43
    桜田門外の変(前編) まち・文化

     今年は明治維新150年ということで、幕末が再び脚光を浴びている。幕末の明確な始まりは外圧である黒船来航からと考えることができるが、幕末史の裏の局面である血生臭い「天誅」と称する殺人事件の数々は桜田門外の変から始まる。逆説的に言えば桜田門外の変が無ければ気に入らない人物を殺してでも世の中を変えようとする急激な改革... 続きを読む

  • 2018年3月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 42
    犬上神社と犬上君 まち・文化

    犬上の君屋敷推定地  人類が最初に仲良くなった生き物は犬ではないかとの説がある。古くは縄文時代辺りには人間の狩りを手伝い、そして家族と同じ待遇も受けていたことが埋葬方法などからわかるらしい。これ対して猫(イエネコ)は仏教と共に日本に伝来したと言われている。始まりは経典を齧る鼠退治を担った存在だったのだ。よく「... 続きを読む

  • 2018年2月13日

    湖東・湖北 ふることふみ41
    井伊直政命日法要 まち・文化

    昨年の命日法要の様子  慶長7年(1602)2月1日、井伊直政は居城佐和山城で生涯を閉じる、享年42歳。死因は1年半ほど前の関ケ原の戦いで島津義弘を追跡しながら受けた鉄砲傷による破傷風だと言われてきたが、近年では直政は関ケ原直前に高熱を発し、このために軍監の任に本多忠勝を加えるなどの対策が行われたことからも関... 続きを読む

  • 2017年12月25日

    湖東・湖北 ふることふみ 40
    井伊家千年の歴史(23) まち・文化

    直虎終焉の地・松岳院跡  『おんな城主 直虎』の放送も無事に終了した。一旦区切りとなるので今稿では放送前に大きな問題も提示されていた件について私説を書いてみたい。  井伊直虎は男性である。そんな説がまことしやかに発表されたが現在はほぼ否定されていると考えても差し支えない。一番の理由は男性説の証拠となる史料が1... 続きを読む

  • 2017年11月10日
    No Image

    湖東・湖北 ふることふみ38
    井伊家千年の歴史(21) まち・文化

     1つの家を1年のドラマにするとき、それまでは知られることもなかった人物が登場し活躍することがある。井伊直政の姉である高瀬姫もその1人ではないだろうか?  「直政に姉がいたことなんて知らなかった」と、彦根の中でもよく耳にする。また「高瀬が架空の人物ではないか?」との質問もよく受けたが、高瀬は正真正銘直政の姉である。しか... 続きを読む

  • 2017年10月3日

    湖東・湖北 ふることふみ 37
    井伊家千年の歴史(20) まち・文化

    昨年発見された南渓和尚の位牌  井伊家の話、再開。  直虎を始めとする井伊家の人々に常に寄り添って助言する人物が龍潭寺の二世住職南渓瑞聞である。  南渓和尚は直虎の大叔父(祖父の弟)で、以前は井伊直平実子の次男(もしくは三男)と言われていたが、過去帳を見ると両親の戒名が直平以外の人物が記されていた。現在では井... 続きを読む