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古楽の記事一覧

  • 2018年8月15日

    湖東・湖北ふることふみ 47
    堺南台場 まち・文化

    彦根藩が築いた幕末最大規模の「堺南台場」  桜田門外の変から明治維新まで7年の期間がある。私たちは彦根藩が井伊直弼暗殺後に何の動きもないまま明治維新を迎えた様に感じている。しかし、この間にも彦根藩はたくさんの苦悩があり歴史の舞台のちょっと脇を歩んでいた。今回からそんな幕末維新の彦根藩の姿を現場ごとに追ってみた... 続きを読む

  • 2018年7月13日

    湖東・湖北 ふることふみ 46
    川瀬太宰の妻 まち・文化

    川瀬太宰邸址(大津市)  山本周五郎の短編集『日本婦道記』の完全版が文庫化された。戦中戦後に武士の妻を主人公にした女性の生き方を描いた作品であり直木賞候補にもなったが、周五郎自身が受賞を辞退(山本周五郎は文学賞の受賞を生涯辞退し続けた)したため幻の直木賞作品とも言われている。完全版と言われるのは婦道記の意向で... 続きを読む

  • 2018年6月15日

    湖東・湖北 ふることふみ 45
    桜田門外の変(後編) まち・文化

    桜田門外の変を描いた絵葉書 / 個人蔵  当事者たちにとっては長い時間だったであろう桜田門外の変も時間にすれば十分にも満たなかったとされている。  前稿で行列の日雇い仲間が一番に逃げたという説があることを書いたが、私は何年か前に『柘榴坂の仇討』という映画の中で桜田門に向かう彦根藩の行列にいた仲間役をいただいた... 続きを読む

  • 2018年5月14日

    湖東・湖北 ふることふみ 44
    桜田門外の変(中編) まち・文化

    萬延元年に発刊された『袖玉武鑑』(携帯できる武鑑)/ 個人蔵  江戸城からの太鼓を合図に、大名たちの登城が始まった。  ドラマや映画を見ると行列はゆっくり歩みながら進むイメージがあるが、実際の行列は駆け足だったと伝えられている。江戸時代は基本的に平和な長期安定政権だったが本来幕府という組織は武士が軍事行動中に... 続きを読む

  • 2018年4月10日

    湖東・湖北 ふることふみ 43
    桜田門外の変(前編) まち・文化

     今年は明治維新150年ということで、幕末が再び脚光を浴びている。幕末の明確な始まりは外圧である黒船来航からと考えることができるが、幕末史の裏の局面である血生臭い「天誅」と称する殺人事件の数々は桜田門外の変から始まる。逆説的に言えば桜田門外の変が無ければ気に入らない人物を殺してでも世の中を変えようとする急激な改革... 続きを読む

  • 2018年3月8日

    湖東・湖北 ふることふみ 42
    犬上神社と犬上君 まち・文化

    犬上の君屋敷推定地  人類が最初に仲良くなった生き物は犬ではないかとの説がある。古くは縄文時代辺りには人間の狩りを手伝い、そして家族と同じ待遇も受けていたことが埋葬方法などからわかるらしい。これ対して猫(イエネコ)は仏教と共に日本に伝来したと言われている。始まりは経典を齧る鼠退治を担った存在だったのだ。よく「... 続きを読む

  • 2018年2月13日

    湖東・湖北 ふることふみ41
    井伊直政命日法要 まち・文化

    昨年の命日法要の様子  慶長7年(1602)2月1日、井伊直政は居城佐和山城で生涯を閉じる、享年42歳。死因は1年半ほど前の関ケ原の戦いで島津義弘を追跡しながら受けた鉄砲傷による破傷風だと言われてきたが、近年では直政は関ケ原直前に高熱を発し、このために軍監の任に本多忠勝を加えるなどの対策が行われたことからも関... 続きを読む

  • 2017年12月25日

    湖東・湖北 ふることふみ 40
    井伊家千年の歴史(23) まち・文化

    直虎終焉の地・松岳院跡  『おんな城主 直虎』の放送も無事に終了した。一旦区切りとなるので今稿では放送前に大きな問題も提示されていた件について私説を書いてみたい。  井伊直虎は男性である。そんな説がまことしやかに発表されたが現在はほぼ否定されていると考えても差し支えない。一番の理由は男性説の証拠となる史料が1... 続きを読む

  • 2017年11月10日
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    湖東・湖北 ふることふみ38
    井伊家千年の歴史(21) まち・文化

     1つの家を1年のドラマにするとき、それまでは知られることもなかった人物が登場し活躍することがある。井伊直政の姉である高瀬姫もその1人ではないだろうか?  「直政に姉がいたことなんて知らなかった」と、彦根の中でもよく耳にする。また「高瀬が架空の人物ではないか?」との質問もよく受けたが、高瀬は正真正銘直政の姉である。しか... 続きを読む

  • 2017年10月3日

    湖東・湖北 ふることふみ 37
    井伊家千年の歴史(20) まち・文化

    昨年発見された南渓和尚の位牌  井伊家の話、再開。  直虎を始めとする井伊家の人々に常に寄り添って助言する人物が龍潭寺の二世住職南渓瑞聞である。  南渓和尚は直虎の大叔父(祖父の弟)で、以前は井伊直平実子の次男(もしくは三男)と言われていたが、過去帳を見ると両親の戒名が直平以外の人物が記されていた。現在では井... 続きを読む

  • 2017年8月15日

    湖東・湖北 ふることふみ35
    治部蛍計画 まち・文化

     春から初夏へと移り、夜の外出が容易になった季節に注目を集める昆虫が蛍である。日本人には古くから親しまれていて最古の記録では『日本書紀』に記され、清少納言の『枕草子』には「夏は夜。つきのころはさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる」とも紹介されていて夏の名物が月夜と闇夜の蛍であることは平安時代には既に知... 続きを読む

  • 2017年6月27日

    湖東・湖北 ふることふみ34
    『琵琶湖周航の歌』100年 まち・文化

    5番の歌碑・彦根港  平成29年6月、『琵琶湖周航の歌』ができて100年を迎える。様々な歴史を扱っているこのコーナーでは100年という時間はほんの一瞬のように感じてしまうが、一つの曲が残り歌われ続けるには途方もない時間となる。ましてや『琵琶湖周航の歌』は後世に残すために作られた訳ではなく一瞬で歴史の陰に消えて... 続きを読む

  • 2017年6月9日

    湖東・湖北 ふることふみ33
    井伊家千年の歴史(19) まち・文化

    小野但馬終焉の地・手前の巨石が但馬の供養石と言われている  戦国時代の井伊家を語るうえで必ず登場する一族が小野家である。しかも井伊家を窮地に落とす獅子身中の虫として扱われている。  伝承では小野家は小野篁の息子俊生が遠江に住んだことが始まりとされているが、最近では「英比」という家であったとされていて井伊一族だ... 続きを読む

  • 2017年5月2日

    湖東・湖北 ふることふみ32
    井伊家千年の歴史(18) まち・文化

     静岡県御前崎市の新野地区。JR菊川駅からバスに揺られること30分で茶畑が広がる静かな町に到着する。ここが井伊直虎の母祐椿尼とその兄である新野左馬助の育った場所である。  新野家は『吾妻鏡』には既に記録された遠江武士ではあるが、左馬助は今川氏の血縁であることからどこかの段階で新野家が地元の武士から今川氏一族に替っ... 続きを読む

  • 2017年4月6日

    湖東・湖北ふることふみ31
    井伊家千年の歴史(17) まち・文化

    井伊直盛の陣跡(桶狭間小学校)  井伊家の歴史は今川氏との関係が大きく影響することが見えてくる。そんな今川氏の没落するきっかけとなるのが桶狭間の戦いであり、この合戦は井伊家にとっても大きな分岐点となった。今稿では、桶狭間の戦いで井伊直盛がどの様に動いたのかを見て行くことにする。  永禄3年(1560)5月の時... 続きを読む

  • 2017年3月3日

    湖東・湖北 ふることふみ30
    井伊家千年の歴史(16) まち・文化

    妙雲寺(浜松市北区引佐町) 昨年妙雲寺で発見された直虎の位牌  許嫁が行方不明だったあしかけ11年という時間はあまりにも長かった。少年だった亀之丞は20歳の青年となり直虎の前に現れた、井伊直盛は娘が還俗して亀之丞と結婚し夫婦で次代の井伊家を継いでくれるように願ったが、直虎は拒否した。その理由は分かっ... 続きを読む

  • 2017年2月17日

    湖東・湖北ふることふみ29
    井伊家千年の歴史(15) まち・文化

    井伊直親の墓(中央)と直虎の墓(右から2番目)  前稿まで、井伊家が誕生してから井伊直政が徳川家康に仕えるまでの565年の歴史を紹介した。今稿からは井伊直虎とその周辺の人物に焦点を当てて紹介したい、その過程で前稿までと重複する話が多用されることをお断りする。  まずは井伊直虎。  井伊谷龍潭寺が作成した年表... 続きを読む