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古楽の記事一覧

  • 2015年5月20日

    湖東・湖北ふることふみ 9
    龍に出逢える場所・安楽寺 まち・文化

     大きな目的もなく車を走らせていると、カーナビや信号に記された地名に興味を持つことがある。ほとんどの場合は一瞬の興味の後に他の事に意識が向く、しかし妙に心惹かれ地名の謎を探ろうとその地に入り大きな出逢いを経験するぶらり旅も面白い。  国道8号線を北上し、長浜市曽根町(旧びわ町曽根)に「御館口」と書かれた信号を見た... 続きを読む

  • 2015年3月13日

    湖東・湖北ふることふみ7 前田慶次が渡った琵琶湖(2) まち・文化

    米原湊のモニュメント(米原駅)  慶長6年(1601)10月24四日に伏見の上杉屋敷を出発し、翌25日に堅田から沖島東の「弁財天嶋の世渡」を過ぎ薩摩港で餉を済ませた前田慶次の旅を前稿で紹介した。  今稿ではその続きを見て行くが、実はこの先は「さほ山のあなたなる前原の湊につく」としか書かれていない。つまり佐和山... 続きを読む

  • 2015年2月11日

    湖東・湖北 ふることふみ6
    前田慶次が渡った琵琶湖(1) まち・文化

    慶次も同じ風景を400年以上前に見た「沖島付近から多景島を遠望」  平成27年4月から晩年の前田慶次をモデルにしたドラマが放送されるらしい。今でこそ誰もが知っている戦国武将の一人となった前田慶次だが、昭和の頃はほとんど知られていない存在だった。そのために、前田慶次の史料はきわめて少ない。しかし、関ヶ原の戦いの... 続きを読む

  • 2015年1月16日

    湖東・湖北 ふることふみ5
    幕末の名もなき女性の記録 まち・文化

     今回は、場所ではなく一枚の古文書から話を進めていきたいと思う。  江戸時代も安定した時期になると、日本人は思った以上に文化的な生活を送っていた。読み書きそろばんと言われる基礎的な知識は現代のヨーロッパに並ぶくらいに当たり前の物となっていた。また現在の戸籍に近い制度も確立している。この制度を俗に「人別」とも呼び、... 続きを読む

  • 2014年12月23日

    湖東・湖北 ふることふみ4
    光秀伝承を残す城  明智丸 まち・文化

     近江には、まだまだ知られていない城が数多く存在する。それはこの国が京都の東に位置し、水運の要である琵琶湖を有している立地的な条件と、山に囲まれた地形的な条件が複雑にかみ合っているからだ。このため、大きな城だけではなく小さな城にも何らかの理由があり築城されている。山に囲まれているということは大きな防御ラインがある... 続きを読む

  • 2014年11月19日

    湖東・湖北 ふることふみ3
    隠れた山城 男鬼城 まち・文化

    三重堀切を主郭より見下ろす  紅葉から雪が降るまでの短い季節が、山城を訪れる一番のチャンスであると言われている。葉が落ちて遠くまで見渡せるようになり、城の戦略性が見えてくるからなのだ。  少ない知識ながらも歴史に愛着を持っている私のところにも時々お勧めの山城を訊ねられることがある。その折、候補として上がる一つ... 続きを読む

  • 2014年10月20日

    湖東・湖北 ふることふみ2
    水口と大和郡山を俯瞰した近江人 まち・文化

     平城京の頃には羅城門を有し、以降大和国の経済の中心にあったこの地は、豊臣秀吉の弟秀長や江戸時代の有力な譜代大名が治めた拠点だった。  豊臣秀長は郡山に百万石の城を築城する。しかし詳細な資料は現在に伝わっていない。  そんな郡山城の天守台発掘調査が行われ、豊臣政権における貴重な天守遺構が姿を見せた。  小高い丘に... 続きを読む

  • 2014年9月19日

    ふることふみ1
    『柘榴坂の仇討』ができなかった藩士 まち・文化

    廣福寺(神奈川県川崎市多摩区枡形6丁目7-1)  桜田門外の変で主君井伊直弼を守れなかった彦根藩士が、水戸浪士の生き残りの首を直弼の墓前に供えるためにその行方を追い続ける物語『柘榴坂の仇討』。  桜田門外の変の後、いつの間にか明治維新を迎えてしまったイメージが強く残っている彦根にとっては、幕末維新の彦根藩士の... 続きを読む