淡海の妖怪

坂上田村麻呂編2「大嶽丸」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2021年11月3日更新

善勝寺墓地。方形の大きな岩が首塚だと伝わっている。

 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ・758〜811)は、桓武天皇に重用され数多くの伝説・物語を残した人物だ。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつである清水寺は、田村麻呂が十一面千手観世音菩薩を本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで名付けたといわれている。
 東近江市猪子町の「北向岩屋十一面観音」は、猪子山山頂(標高268メートル)の烏帽子岩窟の奥に祀られている。像高55センチの石像である。奈良時代に安置されたものといわれ、平安時代に田村麻呂が東国平定のためにこの岩窟にこもり、観音に祈願したと伝わっている。また、田村麻呂が鈴鹿の悪鬼大嶽丸(おおたけまる)討伐の際、岩窟内に十一面観世音菩薩の石像を安置して折願したという説もある。
 厄除で有名な甲賀市土山町の田村神社の主祭神は、坂上田村麻呂だ。社伝によると「鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ませており、嵯峨天皇は坂上田村麻呂に勅命を出してこれを平定させた」とある。田村麻呂が悪鬼を討伐した後、「今や悪鬼も平定された。 これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除くこととする。 この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と矢を放ち、矢が落ちた場所に本殿を建てたといわれている。

 ここで、前回の「淡海の妖怪」を思い出して欲しい。
 ヤマトタケルは、景行天皇の命を受けて、荒ぶる神々を全戦全勝で打ち破ったが、唯一伊吹山の神に敗れ命を落とした。伊吹山の神は『古事記』では「白き猪」、『日本書紀』には「大蛇」、近江の地誌『淡海木間攫』や『淡海温故録』には「八岐大蛇」と記されている。荒ぶる神とは、天皇の支配に服さない神のことである。伊吹山の神こそ日本最強だったわけだ。

  • 景行天皇(第12代)
    ヤマトタケルは伊吹山の「白き猪」に敗退。
  • 応神天皇(第15代)
    多賀大社の神主家犬上氏の高井主男枝尊(たかいぬしおぎのみこと)と都恵神社の神守事主美尊(ことぬしみのみこと)が、力を合わせて伊吹山の八岐大蛇を退治。
  • 一条天皇(第66代)
    源頼光らによって、伊吹の神の子孫「酒呑童子」討伐。

 景行天皇の代で平定できなかった伊吹の神を、応神天皇の代で打ち負かし全土を掌握。そして一条天皇の代で反朝廷勢力の残党狩りを完了したということになるのだろうか。

 田村麻呂は桓武天皇(第50代・在位781〜806)のとき鈴鹿の悪鬼大嶽丸を討伐。嵯峨天皇(第52代・在位809〜823)のとき鈴鹿峠の大嶽丸一派の残党狩りを終えたのだろう。田村神社に自らを祀らせたのが平定の証である。
  『日本妖怪異聞録』(小松和彦著)に、中世の都人にとって三大妖怪は酒呑童子、玉藻前、大嶽丸とある。大嶽丸は、能『田村』では、神通力を操る鈴鹿山の鬼神として登場する。黒雲に隠れ、暴風をおこし、雷電を呼び、火の雨を降らす。これらの能力は「たたら製鉄」を想起させる(妄想だろうか)。
 ところで、大嶽丸の首塚が善勝寺(東近江市佐野町)にある。坂上田村麻呂が鈴鹿御前とともに討ち取った首だという。首を埋め、大岩をのせ、慌てて封印したかのような感じだ。

 

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