「浅井長政」を含む記事一覧
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2019年12月17日
湖東・湖北 ふることふみ 63
織田信長と浅井長政の同盟 まち・文化織田信長と浅井長政の対面の地・高宮城跡 浅井賢政が元服したとき、六角家重臣平井定武の娘を妻として迎え、六角義賢の一文字を与えられて「賢政」と名乗るようになったが、これは平井家と同じ身分であると国内外に知らしめることでもあった。賢政はこの屈辱に耐えることができずすぐに離縁して反六角の旗を鮮明にしたと言われてい... 続きを読む
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2011年6月6日
江展望 2011
多賀大社の梵鐘に猿夜叉の刻印 まち・文化浅井猿夜叉の名が刻まれた梵鐘(写真提供: 多賀大社) 鐘楼 江たち浅井三姉妹の父、長政は幼名を猿夜叉といった。多賀大社には、浅井猿夜叉の名が刻まれた梵鐘が、参集殿のそばの鐘楼に吊るされている。梵鐘が奉納されたのは、天文24年(1555)のことだ。当時社内にあった不動院の初代住職・祐尊の呼びかけに応... 続きを読む
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2011年3月11日
江展望 2011
江誕生13年前、浅井長政、野良田表の戦いに勝利す まち・文化城壁をイメージしたという「高橋」 国道8号線から聖泉大学方面へ向かう道中に「高橋」がある。欄干の上部が瓦風の造りになっている。橋を管理する県に尋ねると、城壁をイメージしているという。橋を南に渡った肥田町に、かつて肥田城があったことにちなんでいるそうだ。 肥田城は浅井長政にゆかりある城である。 江北を領... 続きを読む
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2011年2月23日
江展望 2011
全長寺の囲炉裏ばたで、 市の最期を思う まち・文化全長寺 江の母、市は長政の自刃から10年後、柴田勝家に再嫁している。市は茶々・初・江の三姉妹と共に勝家の居城越前・北庄城へ移り住んだ。市は35歳、勝家は61歳。「本能寺の変」直後のことだった。しかし、1年もたたない間に、信長の後継を巡って賤ヶ岳の合戦が始まり、結婚生活は長く続かなかった。 柴田勝家vs羽柴... 続きを読む
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2011年2月2日
江展望 2011
尾崎神社に残る長政と市の記憶 まち・文化尾崎神社 大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が始まった。第一話は織田信長の攻撃によって浅井長政の居城・小谷城が落城するまでが描かれていた。長政のもとへ嫁いだ信長の妹・市が、次第に長政の人柄に惹かれていく様子が印象的だった。ただ実際のところ長政と市がどのような結婚生活を送っていたのかは、ほとんどわかっていないら... 続きを読む
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2010年5月1日
化粧川 まち・文化
中山道高宮宿を流れる五社川の別名を「化粧川」という。 『久徳城主久徳氏の姫が高宮城主高宮三河守に輿入れの際の持参金ならん持参水であって、昔から水利の悪い高宮での姫の化粧の水に不自由させないための久徳城主の親心から引かれた川だとのいいつたえである。』素敵ないい話だと思った……。しかし、文章には続きがある。 『(... 続きを読む
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2009年2月8日
源泉かけ流しの湯を堪能する お店
須賀谷温泉須賀谷温泉の魅力はなんといっても「源流かけ流し」だ 志賀直哉の「城崎にて」の世界をうらやましく思っていたことがある。閑寂な温泉地での療養に、文豪はいいなあと思っていた。しかし、志賀直哉の療養は、電車にはねられ大怪我をしたためであった。健康な私であるけれども、この季節は温泉が恋しい。近くて日帰りのできる温泉に向か... 続きを読む