湖東・湖北 ふることふみ 87
『水と石垣』
令和3年の秋、滋賀県に台風被害のニュースが聞こえなかった。台風での増水を防ぐために事前に琵琶湖の水が放出されているため琵琶湖の水位低下が深刻な問題となっている。
この反面、私のような歴史好きにとっては何年かに一度のチャンスとも考えてしまう。それが湖中史跡の出現である。長浜城の太閤井戸や膳所城の石垣そして坂本城の石垣も見逃せない。
平成6年(1994)の琵琶湖水位低下は100センチを超えた。このとき坂本城の石垣が姿を現しニュースとなった。近年では大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が築いた城として広く知られた城の一つであり、昨今の城ブームで無名であった城にも人が訪れるため、坂本城が話題に上ることに違和感はない。しかし平成6年の渇水時には今のようなブームとは無縁でありながら坂本城の石垣に多くの見学客が詰めかけていた。もちろん私もその一人だった。
再び坂本城の石垣が湖中より現われたと聞き見学に行ってみた。坂本城跡の湖中石垣は本丸跡と言われている区画の東にコの字方に残るもので石垣を構成する上で重要な支えとなる根石になる。大津教育委員会の『坂本城跡発掘調査報告書』によれば南北ラインで長さ22メートル「このラインの石垣は基礎石だけではあるがすべて残存していた。残存する石材はすべて東面して構築されている」とのことであった。とくに南隅から南面が良く見学でき大きな根石と裏込石に使ったと思われる小さい石が歴史のロマンを掻き立ててくれる。
坂本城本丸は水城であり、城から直接船に乗って琵琶湖を横断し安土城に行くこともできたが、水に沈む石垣をどのように造ったのだろうか? 水城ではなくとも彦根城の堀の石垣などでも同じ疑問がわきあがってくるかもしれない。そもそも石垣はすべて石でできている訳ではない。土塁を積んでその周りを石で固めているので水によって土塁が崩される心配も考えられる。崩れない工夫の一つは土塁と大きな石の間に裏込石と呼ばれる小さな石を詰めて、水を土塁内に留めず排水させることである。また石垣の上に建物を乗せることでその重みが石垣を安定させるコツにもなっている。そして水城や堀に面した部分、地盤が軟らかい土地に建てる城などにはもう一つ大きな工夫が施されている。それが石垣の最下部である根石の下に胴木と呼ばれる木材を敷くことなのだ。
木材と水と考えると木に水が染みていき腐ってしまいそうなイメージがあるが、実は木材は水に沈んだままでは腐ることがない。この性質を活かした上で耐水性が強い松や椎類の角材や丸太を最下部に敷き、その上に厚い板状の胴木を重ね細かい石で補強、それから根石を並べる作業へと取り掛かったのである。
本来ならば石垣作りに適さないであろう場所にも巨大建築を施す技術にも人の探究心を感じることができるのだ。
【古楽】