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古楽の記事一覧

  • 2016年1月20日

    井伊家千年の歴史(3) まち・文化
    湖東湖北ふることふみ17

    京都の三条東殿跡(現・新風館)  井伊家の系図では、初代井伊共保の後に2代共家、3代共直と「共」の字を継いだ当主が続くが、4代惟直、5代道直、6代盛直と共直を境に「直」の字が引き継がれるようになってゆくことが見えてくる。  さて、彦根藩が編纂した『井伊家傳』では初代共保が亡くなった寛治7年(1093)から急に井... 続きを読む

  • 2015年12月21日

    湖東・湖北ふることふみ16
    井伊家千年の歴史(2) まち・文化

    藤原共資の居城・志津城跡  現在は混合して使われているが、「苗字」と「氏」ではその用途が違っている。わかり易い例では徳川家康の苗字は「徳川」であり、氏は「源」となるので徳川家康が氏名を名乗る時は「源家康」となる。同じ例で豊臣秀吉は苗字が「羽柴」で氏は「豊臣」なのだ。氏が同じ一族を示すものであり、そこから派生し... 続きを読む

  • 2015年11月17日

    湖東湖北ふることふみ15
    井伊家千年の歴史(1) まち・文化

    井伊共保出生の井  2007年の大河ドラマは井伊直虎が主人公となる『おんな城主 直虎』に決定した。大河ドラマの長い歴史の中で、徳川家や源氏平家など特定の時代の最高権力者以外で同氏から二人の主人公を輩出したのは井伊家が初めてとなる。一部のゲームユーザーからはよく知られた人物でもある直虎だが、一般的な知名度は皆無... 続きを読む

  • 2015年10月21日

    湖東・湖北ふることふみ14
    『琵琶湖周航の歌』の原曲 まち・文化

    ひつじぐさ(琵琶湖周航の歌資料館前)  2017年、『琵琶湖周航の歌』が誕生して百年となる。森繁久彌さんや加藤登紀子さんがこの曲を世に知らしめた頃、『琵琶湖周航の歌』は小口太郎の作詞作曲と思われていた。しかし後の調査で作詞は小口太郎に間違いないが曲は吉田千秋という青年が発表した『ひつじぐさ』が原曲だったことが... 続きを読む

  • 2015年9月21日

    湖東・湖北ふることふみ13
    江戸後期のスイーツ まち・文化

    筆者が再現した冷瓏豆腐  『井伊直弼公生誕200年祭』が行われている。その中の企画として『ひこね菓子』という井伊直弼や茶の湯に合った菓子を創作するイベントの選考会が九月二日に行われた。今稿では井伊直弼が誕生した頃に食べられていたと考えられる一つのスイーツを紹介したい。  『豆腐百珍』という本がある。天明2年(1... 続きを読む

  • 2015年8月18日

    湖東・湖北ふることふみ12
    地名として残った川の名前 まち・文化

    県道2号線新能登川橋  今から25年ほど前のことだろうか?  「歴史に関係あるかどうかわからないけど」との前置きをされてから「能登川って川はどこにあるのですか?」と質問された。その瞬間まで能登川という地名は当たり前のように身近にあり、当然のように河川として存在するのだろうと思い込んでいた。しかし実際に調べてみ... 続きを読む

  • 2015年7月20日

    湖東・湖北ふることふみ11
    地震と豊臣政権 まち・文化

     豊臣秀吉が最初に築城した伏見城である指月城の遺構が平成27年6月に発見され大きな話題となった。指月城は慶長伏見地震で倒壊し、その姿を後世に残さなかったために幻の城ともされていたが今回の発見で歴史の一ページが真実であったことを証明したのだ。  指月城は地震で「天守上の二重ゆりおとし」と記録されるように天守が落ちて... 続きを読む

  • 2015年6月19日

    湖東・湖北ふることふみ10
    織田信長に愛された側室が住んだ館 まち・文化

     戦国史のみではなく、日本史の流れを大きく変えた事件の一つに本能寺の変が挙げられる。織田信長の死は同じ時代を生きた人々の運命にさまざまな影響を与えた。そんな信長が晩年に最も信頼し、本能寺の変の後は信長の妻妾たちの中心となって活動した人物が「お鍋の方」だ。  近江が六角氏と京極氏によって支配されていた頃、永源寺辺り... 続きを読む

  • 2015年5月20日

    湖東・湖北ふることふみ 9
    龍に出逢える場所・安楽寺 まち・文化

     大きな目的もなく車を走らせていると、カーナビや信号に記された地名に興味を持つことがある。ほとんどの場合は一瞬の興味の後に他の事に意識が向く、しかし妙に心惹かれ地名の謎を探ろうとその地に入り大きな出逢いを経験するぶらり旅も面白い。  国道8号線を北上し、長浜市曽根町(旧びわ町曽根)に「御館口」と書かれた信号を見た... 続きを読む

  • 2015年3月13日

    湖東・湖北ふることふみ7 前田慶次が渡った琵琶湖(2) まち・文化

    米原湊のモニュメント(米原駅)  慶長6年(1601)10月24四日に伏見の上杉屋敷を出発し、翌25日に堅田から沖島東の「弁財天嶋の世渡」を過ぎ薩摩港で餉を済ませた前田慶次の旅を前稿で紹介した。  今稿ではその続きを見て行くが、実はこの先は「さほ山のあなたなる前原の湊につく」としか書かれていない。つまり佐和山... 続きを読む

  • 2015年2月11日

    湖東・湖北 ふることふみ6
    前田慶次が渡った琵琶湖(1) まち・文化

    慶次も同じ風景を400年以上前に見た「沖島付近から多景島を遠望」  平成27年4月から晩年の前田慶次をモデルにしたドラマが放送されるらしい。今でこそ誰もが知っている戦国武将の一人となった前田慶次だが、昭和の頃はほとんど知られていない存在だった。そのために、前田慶次の史料はきわめて少ない。しかし、関ヶ原の戦いの... 続きを読む

  • 2015年1月16日

    湖東・湖北 ふることふみ5
    幕末の名もなき女性の記録 まち・文化

     今回は、場所ではなく一枚の古文書から話を進めていきたいと思う。  江戸時代も安定した時期になると、日本人は思った以上に文化的な生活を送っていた。読み書きそろばんと言われる基礎的な知識は現代のヨーロッパに並ぶくらいに当たり前の物となっていた。また現在の戸籍に近い制度も確立している。この制度を俗に「人別」とも呼び、... 続きを読む

  • 2014年12月23日

    湖東・湖北 ふることふみ4
    光秀伝承を残す城  明智丸 まち・文化

     近江には、まだまだ知られていない城が数多く存在する。それはこの国が京都の東に位置し、水運の要である琵琶湖を有している立地的な条件と、山に囲まれた地形的な条件が複雑にかみ合っているからだ。このため、大きな城だけではなく小さな城にも何らかの理由があり築城されている。山に囲まれているということは大きな防御ラインがある... 続きを読む

  • 2014年11月19日

    湖東・湖北 ふることふみ3
    隠れた山城 男鬼城 まち・文化

    三重堀切を主郭より見下ろす  紅葉から雪が降るまでの短い季節が、山城を訪れる一番のチャンスであると言われている。葉が落ちて遠くまで見渡せるようになり、城の戦略性が見えてくるからなのだ。  少ない知識ながらも歴史に愛着を持っている私のところにも時々お勧めの山城を訊ねられることがある。その折、候補として上がる一つ... 続きを読む

  • 2014年10月20日

    湖東・湖北 ふることふみ2
    水口と大和郡山を俯瞰した近江人 まち・文化

     平城京の頃には羅城門を有し、以降大和国の経済の中心にあったこの地は、豊臣秀吉の弟秀長や江戸時代の有力な譜代大名が治めた拠点だった。  豊臣秀長は郡山に百万石の城を築城する。しかし詳細な資料は現在に伝わっていない。  そんな郡山城の天守台発掘調査が行われ、豊臣政権における貴重な天守遺構が姿を見せた。  小高い丘に... 続きを読む

  • 2014年9月19日

    ふることふみ1
    『柘榴坂の仇討』ができなかった藩士 まち・文化

    廣福寺(神奈川県川崎市多摩区枡形6丁目7-1)  桜田門外の変で主君井伊直弼を守れなかった彦根藩士が、水戸浪士の生き残りの首を直弼の墓前に供えるためにその行方を追い続ける物語『柘榴坂の仇討』。  桜田門外の変の後、いつの間にか明治維新を迎えてしまったイメージが強く残っている彦根にとっては、幕末維新の彦根藩士の... 続きを読む