江展望 2011
全長寺の囲炉裏ばたで、 市の最期を思う

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 余呉町 2011年2月23日更新

全長寺

 江の母、市は長政の自刃から10年後、柴田勝家に再嫁している。市は茶々・初・江の三姉妹と共に勝家の居城越前・北庄城へ移り住んだ。市は35歳、勝家は61歳。「本能寺の変」直後のことだった。しかし、1年もたたない間に、信長の後継を巡って賤ヶ岳の合戦が始まり、結婚生活は長く続かなかった。
 柴田勝家vs羽柴秀吉の賤ヶ岳の合戦は余呉湖より北方を勝家軍、木之本周辺を秀吉軍が陣取り、各陣地で戦いが繰り広げられた。今でも周辺には点々とその事跡が残っている。
 余呉にある曹洞宗の寺、全長寺周辺は、勝家軍の砦が点在していた。全長寺は勝家軍の忠臣毛受(めんじゅ)勝助(勝照)とその兄茂左衛門の菩提寺でもある。
 毛受勝助は、劣勢となった勝家が北庄城へ戻り陣を立て直すことができるように、自ら勝家の身代わりとなり秀吉軍に立ち向かった。毛受勢は全滅。兄弟が討ち死にした。近くに寺があったことから、供養されるようになったのだと伝わっている。寺から少し北へ行くと兄弟の墓がある。
 「全長寺はもともと浄土宗の全長坊という寺が始まりで、約400年前に曹洞宗に改宗し今の寺名に改まりました。本堂と庫裡は約200年前に建てられたものです」と26世の平家芳雄さん(61)が教えてくださった。合戦は全長寺として開山する前のことである。

200年前から使われ続けてきた囲炉裏に特別に火を入れていただいた

 外は雪、本堂は痛いくらいの寒さだ。庫裡にある囲炉裏も改修はされているものの、200年前から使われ続けてきたものだ。私がお邪魔したときには特別に火を入れてくださった。
 「武将たちもこうして囲炉裏で暖をとりいろいろな話をしていたんでしょうね」。炎を見ながら平家さんがつぶやいた。
 北庄城の冬を思う。それは母子が一緒に過ごした最後の時間だった……。勝家は合戦に敗れ北庄城は落城、勝家は市と共に自害し三姉妹は秀吉に保護されることになる。市が自筆の手紙をしたため、秀吉に依頼したと伝わる。三姉妹を迎えに行ったのは石田三成だ。
 囲炉裏にくべた薪は勢いよく燃え、燻された煙が庫裡を包み込んでいく。2月26日のイベントはこの囲炉裏ばたで行われる。

参考文献
「戦国大名浅井氏と北近江—浅井三代から三姉妹へ—」 長浜市長浜城歴史博物館 / 企画・編集・発行 サンライズ出版 / 2008年

久沢山 全長寺

滋賀県長浜市余呉町池原885 / TEL: 0749-86-2001
拝観料 300円
拝観時間については特に定めていないため、事前の予約が望ましい。

2011年2月26日(土)11:00〜14:00
囲炉裏を囲み、地元の食材などを使った鍋を食べるイベントを予定している。先着10名程度で要予約。定員に満たない場合は休止もある。料金は1,300円(拝観料込み)

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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