江展望 2011
尾崎神社に残る長政と市の記憶
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が始まった。第一話は織田信長の攻撃によって浅井長政の居城・小谷城が落城するまでが描かれていた。長政のもとへ嫁いだ信長の妹・市が、次第に長政の人柄に惹かれていく様子が印象的だった。ただ実際のところ長政と市がどのような結婚生活を送っていたのかは、ほとんどわかっていないらしい。
小谷城のふもと、長浜市小谷郡上町(旧湖北町郡上)にある尾崎神社には『毎年9月に行われる灯明祭を、長政と市がお忍びで見に来ていた』という言い伝えが残っている。郡上区元自治会長でもある中山孫孝さん(69)が教えてくださった。
小谷郡上町は小谷城下で栄えた集落のひとつだ。灯明祭は素焼きのかわらけに火を灯す神事で、今も受け継がれ、700ほどのあかりが供えられるという。城下町であった頃はより盛大だったそうだ。
尾崎神社に関しては、わずかな伝承が残るばかりだ。尾崎神社の名になったのは享保年間のこと、それまでは神明さん、お宮さんと呼ばれ親しまれてきた。樹齢千年と伝わる杉があり、二柱の祭神のうち一柱は伊弉諾尊(イザナギノミコト)だが、もう一柱はわからないままである……。
姉川の合戦の一週間前、織田軍が小谷城下町を焼き払ったことや、秀吉が長浜城を築くにあたって、郡上を含め小谷城下の領民を移住させてしまったことで、記録が失われてしまったのだ。長浜のまちなかに建つ旧町名が記された石碑には、小谷の城下町と同名のものがいくつかある。長浜市元浜町には「郡上」の石碑が建っている。
「小谷城下に火が放たれたのは一度ではなく、その後も何度となく燃えています。どちらにせよとても人が住めるような状況ではなかったでしょう。集落に残った浅井家の家臣は一人だけでした。ただ北国脇往還沿いということもあって、その後、人々が住み着き、集落が再形成されていきました」。
ドラマのように長政と市が夫婦としての絆を深めていったのであれば、ふたりは仲睦まじく灯明祭を見物していたに違いない……。神社だけでなく、集落の記憶も失われたなかで、夫妻のエピソードが今に伝わるのはよほど印象的だったのだろう。あかりに包まれる神社を見たいと思った。
尾崎神社
滋賀県長浜市小谷郡上町511
灯明祭は現在毎年9月16日に執り行われている。
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
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