理容ナカジマ、待合ソファにて

中嶋守治さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 西浅井町 2010年5月25日更新

理容ナカジマのソファにて

 古代、琵琶湖のほぼ最北に北陸と都を結ぶ湖上交通の重要な拠点、塩津港があった……。『源氏物語』作者の紫式部が長徳2年(996)9月、父藤原為時とともに越前へ下向した際、大津から塩津までを舟で渡り、塩津街道を通ったことも知られている。
 西浅井町塩津浜に住む中嶋守治さんは、「塩津浜歴史研究会」の顧問であり、港を中心に栄えた塩津の歴史を独自に追い続けている。ずいぶん以前になるが、中嶋さんは地域の長老たちへの聞き取り調査を行ったことがあった。テープレコーダーが高価な時代で、一言一言をすべて大学ノートに写し取った。
 数年前に塩津港遺跡の発掘調査が始まったとき、中嶋さんは首を傾げた。聞き取っていた地点とは違う所が掘られていたからだ。そこで調査員の一人にその旨を知らせた。しばらくすると、言い伝えられてきた所から国内最古級とされる平安時代の神社跡が出土し、その他にも多くの発掘品があった。語り継がれた歴史には、主観や記憶の混乱もある。中嶋さんはそれを整理し、考証していく……。史実が常に正しいわけではないのだ。特に郷土史は、民間の郷土史家によって解明され、中央の歴史学者にも及ばないことも多い。
 「この地域の歴史を何百年と語り継いできた先人たちはすごい」と中嶋さんは話す。郷土の歴史に魅せられた一人である。平安末期に築かれたとされる塩津城跡があり、城主を探るために全国の「塩津姓」の人に、ルーツを問い合わせたこともあるという。

 今年の塩津浜歴史研究会のテーマは「塩津浜の石造物」。石でできたあらゆるものを、古老に尋ねながら調べようというのだ。「墓石」にも興味があるという。「高い所からお墓を見ていたらいろんな形がある。なんでやろうと気になってたんです。宗派の違いはあるけれど、墓石にも流行があるんと違うかな……」。不思議に思い、答えを見つける作業は、予め失われている歴史を埋めることになる。一度、答えにたどり着くと、その喜びを忘れることができないに違いない。
 「理容ナカジマ」を営む中嶋さんは、いつも待合のソファで迎えてくださる。お話は軽妙でドラマ仕立て、ついつい聞き入り待合の長話となる。次にお会いするときは、墓石の研究成果を伺うことになっている。どんなドラマになっているのか楽しみである。

 

中嶋守治さん

塩津浜歴史研究会顧問。研究会では昨年、塩津港遺跡について会員が考察を加えた冊子「塩津港遺跡」(サンライズ出版)を出版するなどの活動を続けている。

滋賀県長浜市西浅井町塩津浜949 理容ナカジマ
TEL: 0749-88-0382

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

いと

スポンサーリンク
関連キーワード