史実の間を感じ取る

歴史時代小説作家 矢的竜さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2018年5月3日更新

 彦根市古沢町、まさに石田三成の居城があった佐和山のふもとに、歴史時代小説作家・矢的竜さんは暮らしている。
 53歳で早期退職した矢的さんは、文学賞への投稿を始め、10年目の2011年にデビュー。年に約一冊のペースで書籍を刊行してきた。そして今年3月、石田三成を主人公とした新作小説『三成最後の賭け』が新潮社から発売された。
 6年前、学生時代を過ごした彦根に終の棲家をかまえた矢的さんは、日々佐和山を眺め、週に一度は佐和山に登る暮らしをしながら、いつかは三成についての小説を書こうと思い続けてきたという。しかし、関連書物に描かれる三成には悪いイメージがつきまとい、矢的さん自身、豊臣秀吉におもねる、才気走った人物というイメージがなかなか払拭できなかったそうだ。
 「しかしそうしたイメージが本当かどうか? どんな人間にも裏表があり、裏の面が強調されるほど、それは後の歴史の中でつくりこまれたものなのではないか。歴史学では、記述され、残っているものが真実という見方がされる。しかし歴史を残す側にとって強敵であるほど、その人物は酷く書かれると思われるし、書かれていない歴史を感じ取るためには、ひとつの事件だけでなく、当時の流れ全体をみて、正邪を判断するべきだと思います。」
 定説とされていることを疑うことがつねに自身の小説の根底にある、と語る矢的さんは、従来のダーティーな三成像を覆す着想を探していたという。三成の悪いイメージを決定的にしている最大の要因として矢的さんが注目したのは、関ヶ原合戦で敗れながら、潔く自決せず、配下の者を見捨てて古橋村(現在の長浜市木之本町古橋)の洞窟まで落ちのび、身を隠していたことだ。当時の美学を知っていながら、なぜ三成は死を選ばなかったのか。死に切れなかった理由があるのではないか。
 それを追求していくなかで矢的さんが思い立った設定が、豊臣政権の基盤を大きく動揺させる結果となった「唐入り」(朝鮮および明への侵攻)が徳川家康の陰謀であり、三成は主君である秀吉の意向に反してもそれを阻止し、争わずとも国土を平和に治める方法を進言しようとしたこと。そして、泥沼化した唐入りが秀吉の死によって終結することとなった際、太平洋戦争で日本軍が配下の者や民間人を置き去りにしたような悲劇を起こさせず、見事に引き上げた功績が三成の手によるものだったと想定することだ。小田原征伐、家康と上杉景勝の国替えなども、家康と三成の対立構図としてとらえ、「新しい歴史解釈が提示できたと思う」と矢的さんは語る。
 物語では唐入りから関ヶ原までの16年間にわたる三成と家康の水面下での確執とともに、絶対服従していた秀吉の主君としての衰えに絶望し、心が離れていく三成の心情も丁寧に描かれる。結果として面従腹背の臣下となっていく三成だが、「優秀な上司でもその資質が失われていく時がある。そのとき部下はどうするか。それは現代に通じるテーマ」と矢的さんは指摘する。

 小説を書き出すきっかけとなったのは、三成が最後に身を隠した洞窟を訪れたことだという。「洞窟まではきつい山道で、関ヶ原から逃げのびてきたことを思うと、よほど死んだ方が楽だったのではないかと思った」そう話す矢的さんは、小説のはじまりを、三成の少年時代に設定している。舞台は、三献の茶のエピソードで有名な地ではなく、三成の最後を知る人であれば必ず驚くだろう場所である。
 逸話や定説に固められた歴史ではなく、生身の人間としての人物を見つめようとする矢的さんの三成像を、ぜひ堪能してほしい。

『三成最後の賭け』(新潮社)

矢的竜著  1,836円(税込)
発売日:2018/03/22
四六判変型・256ページ
ISBN978-4-10-351681-1

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矢的竜 PROFILE

1948年、京都府生まれ。彦根市在住。滋賀大学経済学部卒。歴史時代小説作家。『女花火師伝』で歴史群像大賞優秀賞を受賞したほか、『花火』『舞い上がる島』『不切方形一枚折り』でも幾多の文学賞に輝いた。
『大江戸 女花火師伝』『折り紙大名』『あっぱれ町奉行 江戸を駆ける』『シーボルトの駱駝』『光秀の影武者』等、著書多数。

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