語り部が伝える賤ヶ岳合戦

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2012年5月7日更新

「賤ヶ岳合戦語り部の会」 山口忠義さん、小川敬子さん、村上宣雄さん

 「長浜戦国大河ふるさと博」の会場のひとつ木之本エリアは、織田信長の後継を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳合戦に焦点をあてている。ふるさと博は、史跡を野外博物館として位置づけ、北近江の戦国史を紹介しており、賤ヶ岳もそのひとつだ。頂上では、「賤ヶ岳合戦語り部の会」の方々がボランティアガイドとして合戦の解説をしている。
 「赤い鉄塔が2本見えるのがわかりますか。あのあたりから少し北で秀吉軍と勝家軍が一戦を交えたのです」。語り部のひとり山口忠義さん(72)のガイドだ。語り部の会には100人以上の地元の人が登録、講習を終え、交代で語り部を担当している。
 広々とした山頂からは、琵琶湖はいうまでもなく、余呉湖周辺、小谷城跡、姉川古戦場まで大パノラマが展開する。
 勝家軍の猛将で行市山砦にいた佐久間盛政が7000人の部下を従え山を越え、余呉湖岸に降りて、大岩山砦を守っていた秀吉方の中川清秀軍を壊滅させた奇襲攻撃のこと。現場を離れ大垣にいた秀吉がその報を聞きつけ、52㎞の距離を5時間で駆け抜け盛政軍に総攻撃をしかけたこと。のちに七本槍と言われる武将たちが、敗走する盛政軍を追いかけ飛び出し、秀吉はここ賤ヶ岳山頂で、その采配をふったこと…。山口さんは淡々と話を進めていく。ちょっと休憩を入れるように余呉湖の羽衣伝説、雪をかぶる横山岳や上谷山の名前などの説明もあった。

 両陣営の動きを俯瞰するには最高の場所だった。本で知っていたことでも、実際の距離感がダイレクトにわかる。こんな山あり谷ありの場所で……、と当時の武将たちの体力と精神力の強さに改めて驚く。20分ほどの説明を聞いて男性がつぶやいた。「賤ヶ岳合戦と言うけれど、戦いはこの山でだけではなかったんだね」。
 「賤ヶ岳を、山ではなく、砦(とりで)のひとつだと思って歩いてほしいのです」。語り部の会の運営委員長、村上宣雄さん(69)の言葉を思い出した。湖北の歴史や自然に詳しい村上さんは語り部の養成や会の運営を担っている。「もうすぐね、タムシバがいっせいに咲きますよ」と村上さんは教えてくれた。コブシに似た真っ白い花で、4月20日頃が見ごろだという。合戦の激戦は今からちょうど430年前の天正10年(1582)4月20日前後だった(新暦6月)。
 山登りが得意とはいえない私が、賤ヶ岳に何度も登っているのはリフト好き故である。ようやく訪れた春、またリフトに乗ってガイドしてもらおう……。武将たちが眺めたであろう景色や風景を教えてもらおうと思っている。賤ヶ岳に連なる山本山からのルートもいいが、やっぱりリフトである。

賤ヶ岳での語り部ガイド

10:30〜12:00、13:30〜15:00の間で30分おきに約20分。12月2日までの会期中、無休。希望があれば賤ヶ岳砦の構造も紹介している。
JR木之本駅やきのもと会場(きのもと交遊館)から賤ヶ岳リフト乗り場近くまで、 巡回の「七本槍バス」有:バス乗車300円(小中生150円)/ 賤ヶ岳リフト 往復760円(小中生330円)

語り部についてのお問い合わせ:きのもと会場  TEL: 0749-82-6312(9:00〜17:00)

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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