平将門の首

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 愛荘町 2010年7月8日更新

愛荘町石橋の看板

 湿気を含んだ空気がじとーと澱む頃になると、人は怪談話を思い出すらしい。淡海妖怪学波にも「妖怪を知りませんか」と問い合わせが入る。恐い話をと期待されるのだが、妖怪の時代というものがあったとするならば、その時代と畏怖の種類が現代とは違うのだから仕方がない。濃い闇が夜を支配し山々の影が一層密度と重さを増す時代の恐怖は失われてしまった。闇ばかりでなく、昼間に出会う妖怪もいることを知る人も少なくなった。
 温度も無く均一なLEDの時代には、漠然とした曖昧な、あるかないかの一線が失われてしまったのだ。だからだろうか、現実の世界にあってはならない事件が起こるのかもしれない。
 ともかく、要するに期待されているのは、霊的現象や心霊現象、怨霊、怨念、幽霊の類である……。しかし実際そういうものは、妖怪とは異なると僕らは思っているからあまり知らない。
 ところが、『帝都物語』(荒俣宏著)で馴染みの(馴染みなのは僕らだけかもしれないが)怨霊、平将門の伝説が淡海にあることを知った。
 中山道を南へ走ると豊郷町と愛荘町の境に宇曽川が流れ、「歌詰橋(うたづめばし)」という名の橋が架かっている。最近、愛荘町側に、江戸時代の高札を模した五角形の看板が立った。
「石橋—むらじまん— 笑顔あふれる歌詰の里 ここで歌に詰まったという将門伝説の場所」
と書かれている。
 この五角形の看板は、愛荘町の文化財や観光名所、特産物、原風景などが記され、221本が各所に立っているということだ。例えば、「伊勢町 旅の安全祈願堀川地蔵堂」「長塚 大円寺古墳跡」「島川 日本初の民間飛行機発祥の地  翦風(せんぷう)号 大正三年」など、知らないことも多く興味深い。石橋の看板も221本の中のひとつだ。
 さて、将門伝説とは……。
 平将門は平安中期の武将で、下総北部(茨城県西部)を地盤とする当時の関東の最強豪族だった。東国に独立国家をつくる野望を抱いたが、平貞盛・藤原秀郷に攻められて敗死する〈天慶3年(940)〉。推測だが、当時の中心は関西にあり、関東八州を制圧し、新皇を名乗った将門は東国の英雄であり、斬首されるという非業の死は伝説を生み、怨霊・怨念の系譜へと繋がっていく。
 伝説は関東を中心に全国に広がり、淡海には大津市、彦根市、愛荘町に残っているという。彦根市は「平流山(荒神山)」、愛荘町は「のまず(野間津・不飲)の池」「山塚(将門塚)」「歌詰橋」である。これらの伝説は「将門の首が京に運ばれて晒し首にされた」ことに関わっている。
「歌詰橋」の近くにある別の看板に、橋の名の由来が記されている。
『天慶三年(九四〇)平将門は、藤原秀郷によって東国で殺され首級をあげられた。秀郷が京に上るために、中山道のこの橋まできたとき、目を開いた将門の首が追いかけてきたため、将門の首に対して歌を一首といい、いわれた将門の首はその歌に詰まり、橋上に落ちた。そこがこの土橋であったとの伝説がある。以来、村人はこの橋を歌詰橋と呼ぶようになったのである。』
目を見開いた首が追いかけてくるなど、恐るべき将門の怨念、相当に恐い話である。
『近江輿地志略』『淡海録』『淡海温故録』に「歌詰橋」の記述があるというから、詳しく調べてみたいと思っている。
 余談だが、京で晒された将門の首は東国へ向かって夜空に舞い上がり、数カ所に落ちたとされる。東京の大手町にある首塚はよく知られている。

参考文献
『愛荘町の名所・名産史〜玄関展示総集編5〜』 愛荘町立図書館・愛知川びんてまりの館編集発行

淡海妖怪学波

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