御鏡餅

オコナイ(木之本町古橋)

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2018年4月2日更新

 「オコナイ」は少し前までは当たり前に行われていた祭礼で、現代社会が失ってしまった何かしらの欠片があることを感じる。過去より受け継いだ文化の最後の砦であるような気もする。オコナイをカタカナで書くのは「行」「神事」「お講内」など地域によって様々な表記があるからだという。
 古橋のオコナイについては今号4頁で『山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り』で光流さんが触れているので、オコナイの基本的なことについて、まず記しておくことにする。
 「オコナイ」とは、『村内の豊作と安全を祈願し、1月から3月にかけて繰り広げられる祭りのことである。西日本で広範囲に執り行われており、島根半島の北部ではオコニャと呼び、同様の行事は有明海沿岸の村でも行われている。しかし、これほど高密度にオコナイと呼ばれる行事が村々で営まれている地域は、滋賀県をおいてほかにない。とりわけ、琵琶湖の北部にあたる湖北地域と、湖から離れた内陸部の甲賀地域において盛んである。しかしながら、その由来や変遷を辿ることは現在では困難になっている。』(オコナイ  湖国・祭りのかたち)。
 基本的には、御鏡をつくり神仏に供え、直会があり、次の年のトウヤ(頭屋・当屋・塔屋/「屋」を「家」とする場合もある)を決める。しかし、そのディテールは村々によって、御鏡の形状や供え方、神饌など、隣接する集落であったとしても異なっている。

 そして、湖北のオコナイの特徴は御鏡にある。米をかし、蒸し、つき、或いは捏ね、供え、神が食した餅を皆が食べることで神気を宿す……。
 今年、古橋の山内新一さんが頭主をつとめるオコナイを、ご厚意により見学させていただいた。平成6年、新一さんのお父様がトウヤを受けられて以来、2度目となる(念のために記しておくが、『山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り』は、同じ山内でも喜平さん)。
 さて、古橋ではオコナイに「神事」と漢字をあてる。かつては7日間祭礼が続いたが平成12年に2日間に簡素化された。  
 3月3日、午前8時30分過ぎ、訪れたときには既に餅つきが始まっていた……。
 調子を取る鉦や太鼓と「あたご踊り(参り)」の唄が聞こえてくる。新一さんは裃姿でオコナイの進行を見守り上座に座っておられた。田の字型の部屋の襖を取っ払ってできた広い空間で法被に赤いたすきをかけた男たちが御鏡餅を作っている。部屋の畳をあげた一室に臼を据えて、4人の男が派手なアクションで棒づきをしていた。所作とタイミングとを合わせるのが難しい。大袈裟に言うと上手くいくと、拍手がおこる。昔は、羽織袴で餅をついたというから、それは優雅で完成された芸のように美しかったに違いない。

 昔は「粉ひき唄」もあったという。オコナイ当日、餅粉を挽いていた時代があったのだろう。
 ついた餅は、隣の部屋に運び、輪っぱに入れて御鏡餅のカタチに整えていく。薬師、大日、魚藍、十二神将、十所権現などに供える16の御鏡餅を作っていく。「神事」と仏教の境界が予め存在しないのも古橋のオコナイの特徴かもしれない。
 餅つきのクライマックスは、ついた餅を4本の杵で高く持ち上げ、大黒柱に紅白のひもで括り付けるのだが……。何故、そうするのかは誰も説明することはできない。
 翌4日、頭主の山内さんを先頭に御鏡餅を専用の神輿に載せ、薬師堂に向けて行列が出発する。御鏡餅が供えられ、表面に墨書がなされる。
 御鏡餅を水平ではなく立てて供える。僕は「鏡餅」と書く理由が解った気がした。神前にある鏡同様、実際に集落の人々のこころを「うつす」、或いは「うつした」鏡なのではないだろうか。本来、御鏡餅は立てて供えるものではなかったのか。
 オコナイが終わった翌日、僕の所に御鏡餅が届いた。神気を宿した餅である。今まで幾つかのオコナイを見学させていただいたが、人生初の出来事だった。現在、オコナイが行われている集落以外の人間で、御鏡餅を手にした者は数えるくらいだろう。心から感謝したい。ありがとうございました。

小太郎

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