湖東・湖北ふることふみ 9
龍に出逢える場所・安楽寺

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2015年5月20日更新

 大きな目的もなく車を走らせていると、カーナビや信号に記された地名に興味を持つことがある。ほとんどの場合は一瞬の興味の後に他の事に意識が向く、しかし妙に心惹かれ地名の謎を探ろうとその地に入り大きな出逢いを経験するぶらり旅も面白い。
 国道8号線を北上し、長浜市曽根町(旧びわ町曽根)に「御館口」と書かれた信号を見たときに私の興味が地名の謎を探す冒険へと変わった、信号の建つ交差点を琵琶湖方面へ進むとすぐに細江という字となる。すぐに奥ゆかしいお寺を発見し、山門を探して訪問した。
 安楽寺との寺号であると知り、お話を伺うと最初の疑問であった「御館口」との地名の謎もすぐに氷解する。奈良時代始まりとなる和同年間(709~715)にこの地は藤原不比等の荘園であり寺が建立されるまでは現在の寺地を含んだ広大な場所が公家の屋敷だったのだ。その屋敷の名残が「御館」だった。そのような由来から始まるので、お寺も大伽藍であったことが予想される。
 時代は進み南北朝時代。足利尊氏は室町幕府を開幕したが、南朝方との戦いは収まる気配がなく、ついには弟の足利直義とも戦わなければならない観応の擾乱という混乱を招くこととなる。尊氏と直義の軍勢は近江でも戦い、ある戦いでは北陸に逃れようとした直義を尊氏が追って行った。北国街道を北進する尊氏の馬が安楽寺近くで急に歩みを止める。様子を見ていた安楽寺の万叡和尚は、尊氏のもとに向かい、「近くの石に呪いが籠っているのでその念を除く間、寺でお休みください」と、尊氏を招き休ませた。そして石を供養した後に軍を発したのだ。この石は、後に尊氏の遺命で境内に建立された『足利尊氏の爪墓』の前に『進み石』として残っている。寺を訪れた史家の説では「この頃の尊氏は病に侵されていて、馬に乗る体力もなく苦しんだところを万叡和尚が機転を利かせて寺に案内して尊氏を休ませたのではないか」とも考えられるとのこと。大将のカリスマが軍の士気に関わった時代では充分に考えられる。
 この後、尊氏より二百石の寺領を寄進され、尊氏が帰依した夢窓疎石が琵琶湖を模した庭園を作庭し現代に伝わっている。この庭園に構える天に向かってまっすぐ伸びる二本の古松に目を引かれる。足利氏の家紋である「丸に二つ引き」の二本の横線は雌雄一対の龍を表現している。そして古来より松は登り龍に例えられていたらしい。つまりこの二本の古松は足利氏の家紋であり、足利尊氏自身だとも解釈できるのだ。
 そして安楽寺にはもう一か所二匹の龍を目にする場所がある。本堂から山門までの参道、本堂と足利尊氏の爪墓の間辺りで山門の向こうに伸びている松を見上げると、自然の枝が親子の龍の様に見える。「何か特別なことをしたわけではなく剪定をしてもらったら龍のように見える枝があった」とのお話を伺った。爪墓よりも山門に近付くとだんだん龍の姿は消え、反対側から見ても龍を観ることはできない、限られた空間のみに許された自然の芸術なのだ。
 地名の疑問から訪れ、今稿は足利尊氏と龍の松に関わる繋がりを中心に紹介した安楽寺だが、寺に残されている数々の文化財や歴史はまだまだ語り尽くしていない。それらの話はいずれ別の稿で紹介したいと思っている。そして、魅力と驚きに溢れた文化財と龍の枝は、自らの目で確かめて欲しいと切に願う。      

 

安楽寺

滋賀県長浜市細江町105
TEL: 0749-72-2381

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

古楽

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