昭和天皇がお遊びになった「クロック」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2014年9月22日更新

大正6年のパンフレット(部分)橋爪伸也氏蔵

 昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」が公開された。その中で幼少期の遊びとして「クロックノール」という記述がある。ネットの中でどんな遊びだったのか、話題になっている。「クロック」はカロムと同じく明治末期に日本に入ってきたボードゲームだ。「闘球盤」という名前で普及した。
 三重の円が描かれたボードで、基本的に小さい円ほど点数が高い(例えば外側から10点、20点、30点)。真ん中が凹んでいて、ここに入ると更に高得点となる。2〜4人で対戦する(ポイント制なので3人での対戦も可能だ)。持ち玉は10個。順番に自分の陣地から玉を指で弾き、全員が弾き終わった時に、盤上に残った玉の得点合計で勝敗を競う。カーリングのように、対戦相手の玉をサークルから弾き出し自分の玉をいかに高得点のエリアに残すかが勝負である。最も内側の円周上に8本の釘が打ってあり、この釘に玉を当て自在に玉の行方をコントロールできるか否、ここが面白さであり、このゲームのミソである。

パンフレットと同型の「闘球盤」

 日本の「闘球盤」の第一人者は、僕が知る限り大阪の豊中にお住まいの太田博さん。絶滅していた「闘球盤」を復活させ、ボードを作り普及に努めながら「闘球盤」の日本伝来についても探っておられる。長野県で、明治時代の「闘球盤」(彦根の古いカロム盤と同じように墨書がある)の発見もご連絡いただいた。まさに人生の素晴らしい先輩である。
 僕に、判っていることは、「美津濃」(現 美津濃株式会社)発行の大正6年(1917)のパンフレット(橋爪紳也氏蔵)に「ホッケット玉ハジキ」という名前でカロムが、そして「闘球盤」も掲載されているということだ。二つのボードゲームは、商社が海外から輸入し日本全国に普及し遊ばれていったということである。
 国内ではカロムと闘球盤は一時期混同された時代もあった。東北では、「闘球盤」という名前でカロムをしている地域もあるし、「闘球盤」というカロムが販売されていたこともあった。
 昭和天皇は、多分、直輸入のゲーム盤「クロックノール」で遊んでおられたのだろう。明治後期から昭和を生きた人々にとってカロムや闘球盤は記憶のどこかにあるに違いない。
 大正時代の「闘球盤」と太田さん作の「闘球盤」は彦根・はなしょうぶ通り商店街の逓信舎に展示してある。興味のある方はご連絡ください(090-3267-7712 杉原)。

編集部

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