オコナイ — 高月町東阿閉

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 高月町 2009年2月22日更新

『美しき世界は感謝の心から』の言葉でよく知られるヤンマーの創業者山岡孫吉の故郷は東阿閉。公民館は彼が寄贈したもので、ヤンマー会館とも呼ばれている。

 昨年から「オコナイ」に魅せられている。道徳で言うオコナイではない。インディアンの名前のようでもある。アイヌの地名のようにも思える。「オコナイ」と聞いて、村内の豊作と安全を祈願する冬(1月〜3月)の神事だと解る人は間違いなく湖北の人だ。
 オコナイの由来や分布、学問的な考察は研究書に譲るとして、基本的には、御鏡をつくり神仏に供え、直会があり、次の年のトウヤ(頭屋・当屋・塔屋/「屋」を「家」とする場合もある)を決める。しかし、そのディテールは村々によって、御鏡の形状や供え方、つくりもの、神饌、注連縄(しめなわ)など全て、隣接する集落であったとしても、異なっている。
 2月8日、高月町東阿閉(ひがしあつじ)のオコナイを見に行った。乃伎多神社(のぎたじんじゃ)の祭礼である。三つの塔家(とうけ)に分かれ、それぞれ8人の年番が世話をしながら御鏡をこしらえ、公民館では「舞玉(マイダマ)・1頁写真参照」づくりが行われていた。大抵は、マユダマとかモチバナと呼ばれているもので、ケヤキやヤナギの枝に餅を付けたり巻いたりするのだが、東阿閉のそれは青竹を使う独特のものだった。2月5日の夜に準備が行われ、8日に短冊を付け、餅を巻いて完成させる。
 その独特のカタチ……。余所から訪れた稀人にとっては、不思議でならない。
 何時の頃、誰が、何故、そうなったのか、誰も知らない。判らない、昔から、そうだった。ひい爺さんの時もそうだった……と、オコナイの由来や変遷を辿る記憶は絶たれている。ただ、そうやって毎年、決まり事を守り、決められた時刻に決められたことが、淡々と受け継がれてゆく。多分、何百年、ひょっとしたら千年にも及ぶ口伝だったりするのかもしれない。
 午後1時30分過ぎ、風に乗って笛の音が聞こえてくる。鉦や太鼓の音も重なる。三つの塔家から行列が公民館に集まる。御鏡を三つつくるのは、乃伎多神社の、本堂、薬師堂、不動明王堂にそれぞれ供えるためだ。行列は一つになり集落を周り神社へと向かう……。
 僕が、オコナイに魅せられるのは、不思議なカタチだったり、オコナイに携わる人々の所作の美しさだったりする。到底オコナイを経験していない者にとっては得難いものだ。その光景は失われた日本の心情である。
 強風にあおられ、揺れる舞玉。今年は雪は無かったが、雪景色の中を想うと、それはもう昔話なのである。

小太郎

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