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平将門の首の続き

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2010年7月20日更新

 前回、『将門の首』の記事を書いた。『関東八州を制圧し、新皇を名乗った将門は東国の英雄であり、斬首されるという非業の死は伝説を生み、怨霊・怨念の系譜へと繋がっていく。伝説は関東を中心に全国に広がり、淡海にも大津市、彦根市、愛荘町に残っているという。彦根市は「平流山(荒神山)」、愛荘町は「のまず(野間津・不飲)の池」「山塚(将門塚)」「歌詰橋」である。これらの伝説は「将門の首が京に運ばれて晒し首にされた」ことに関わっている』。その中で、宇曽川に架かる「歌詰橋」の伝説を取り上げたのだが、将門の首に関する伝説は、現在ほとんど話題になることは無い。
 科学万能の時代である。伝説にも信憑性のあるものと無いものとで、これからも語り継がれるかどうかが決まるらしい。
 しかし、信憑性が無かったとしても、何百年もの間語り継がれた伝説とは何だったのか……。将門の首の威をかり、語り継がなくてはならなかった理由があったに違いない。
「平流山(荒神山)」の「平流」は将門の首が流れ着いた場所の山だからである。宇曽川は「平流川」という名前で呼ばれたこともある。「ありえない!」。ありえないが、ほんの少し前まで語り継がれていたのである。
 荒唐無稽な伝説の上書き保存するのではなく、別名保存をしておきたいものである。

小太郎

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