化粧川

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2010年5月1日更新

 中山道高宮宿を流れる五社川の別名を「化粧川」という。
『久徳城主久徳氏の姫が高宮城主高宮三河守に輿入れの際の持参金ならん持参水であって、昔から水利の悪い高宮での姫の化粧の水に不自由させないための久徳城主の親心から引かれた川だとのいいつたえである。』素敵ないい話だと思った……。しかし、文章には続きがある。
『(中略)わが高宮の灌漑の水は、主として芹川、それも久徳あたりからとったことを考えると、これもまた、当時の常套手段であった戦略結婚の一種とみられなくもない。』なるほど、川も化粧を施す「化粧川」なのである。
 六角氏の傘下だった浅井氏は、長政が当主になると六角氏と対立する。高宮三河守、久徳左近太夫は浅井方だが、左近太夫は寝返り、六角氏ついた。三河守は左近太夫が六角氏に寝返ったことを浅井長政に報告。長政は久徳城を攻撃。久徳城は落城する。
 久徳の姫もまた、化粧なくして生きられぬ人生だったのかもしれない。姫の名前は調べてみたが判らない。
 間もなくたけのこ梅雨である。
判らないことをそのままに過ごす季節があってもいい。近頃そんな風に思う……。

参考文献: 犬上郡誌・高宮町史

風伯

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