明治維新150年 其の一

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2018年2月9日更新

天寧寺の大東義徹顕彰碑の書は日下部鳴鶴が揮毫。鳴鶴は彦根藩士であり明治の三筆、近代書道の確立者の一人である。

 かつてDADAジャーナルでは湖東・湖北に遺る近代化遺産を記してきた。文化庁によると、近代化遺産とは、「幕末から第2次世界大戦期までの間に建設され、我が国の近代化に貢献した産業・交通・土木に係る建造物」であるとしている。日本の近代化にかかわる遺跡、銅像や顕彰碑も含まれ、 政治・経済・社会・教育・思想・文化・宗教といったさまざまな領域で推し進められた近代化を今によく伝えている遺産のことである。
 今年は明治維新150年。NHK大河ドラマも明治維新の立役者・西郷隆盛を描く「西郷(せご)どん」だ。
 そこで、過去に掲載した近代化遺産の中からベスト12を選び、毎月ひとつずつ連載したいと思う。其の一は、曹洞宗天寧寺(彦根市里根町)にある大東義徹(おおひがしぎてつ)顕彰碑。彼は「近江西郷」と呼ばれた男である。
 天保13年(1842)7月、彦根藩足軽の小西貞徹の次男として生まれ、大政奉還直後には彦根藩は新政府の側に立つべきと主張し、戊辰戦争では彦根藩の軍事方として、東北地方まで転戦している。明治の戸籍編成のとき、「小西」という姓は大望を抱く身としては相応しくないと「大東」と改めている。
 明治4年(1871)、岩倉具視に従い欧米諸国を視察。明治6年(1873)、西郷隆盛が征韓論争に敗れると、司法省の役人だった大東は彦根に戻り、西村捨三・石黒務・外村省吾らとともに、明治8年(1875)彦根議社(のち集議社)民権結社を結成し、彦根の近代化のために尽力する。そして、明治10年(1877)に西南戦争が起きると、大東は鹿児島の西郷に呼応して同志を集め明治新政府に対抗しようと図るが、警察に身柄を拘束されてしまうのだ。
 大東は、豪胆な性格と深い知識、そして風貌が西郷隆盛に似ていたことで「近江西郷」と呼ばれたという。東の「大東」、西の「西郷」、音も意識して「大東」と改姓したのかもしれない。
 ちなみに、大東は近江鉄道株式会社の初代社長を務めている。

小太郎

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