城下町の稲荷社 なぞの言葉「せんぎょう」?

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年11月30日更新

 中山道高宮宿、犬上川沿いに「豊勝稲荷」がある。宿場町の稲荷で、11月5日に大祭があるというので出かけた(11月と2月の第一日曜日が大祭)。明治初期、個人の家で祀っていた稲荷を「門口」の字で世話をするようになったのだという。立派で大きな稲荷である。この稲荷を個人宅で祀っていたのだから、高宮の繁栄ぶりがうかがわれる。門口の全盛期には70戸あったが、現在は29戸。かつては青年会(中学生から30歳)を中心に稲荷社の世話をしていたが、今はオール門口で稲荷を守っている。稲荷の鳥居と玉垣が真新しい。今年7月末、29戸が寄り集まり、皆で鳥居を塗り直し玉垣の整備をしたのだ。
 午後7時前、堤防でお火焚が行われ人々が暖をとっていた……。稲荷社は堤防から少し降りたところにあり、提灯の灯りで夜の闇に浮かんでいた。門口の人々はこの日、稲荷に参りおさがりをいただき、お火焚にあたって三々五々帰っていく……。明治以降、このまちに受け継がれた変わらぬ風景である。
 この豊勝稲荷には、「せんぎょう」或いは「せんぎょ」と呼ばれるお供えの風習がある。多賀町猿木の堤防沿いの森と甲良町小川原の小川原神社に、油揚の上に赤飯のおにぎりを載せたお供えを持って行く。昔は子どもたちの役目で、豊勝稲荷からの道中、提灯を持ち「せんぎょう、せんぎょう」と唱えて歩いたのだという。そして、何故、「せんぎょう」(せんぎょ)というのか誰も判らない。判らないが今も昔も同じように「せんぎょう」が続いているところが面白いのである。
 「せんぎょう」の言葉の意味としては「先業:先人ののこした事業・遺業。」「瞻仰:あおぎ見ること・見上げること・敬い慕うこと」があるが、多分、失われた意味があったに違いない。
 残念ながら僕は「せんぎょう」には間に合わなかった。どうしても、「せんぎょう」のお供えを写真に納めたかったので翌日、小川原神社に出掛けた。猿木の森らしきところにも行ったがそれを見つけることはできなかった。門口の人々にとっては、当然の場所が余所者には絶対に判らない。そういうことはよくある。来年2月には必ずと誓った次第である。
 ところで、高宮は江戸時代宿場として繁栄した町であるが、実は城下町としての歴史も持っている。門口の字名は高宮城に由来するのである。

小太郎

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