レキジョのための基礎知識 2 「義」の物語
頭痛が治るらしい!? 大谷吉継の首塚

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2009年5月24日更新

大谷吉継の首塚とされる畑の片隅の祠。

 米原市下多良の畑の片隅に、祠がポツンと建っている。車通りの多い幹線道路から外れた場所で、案内板も出されていない。地元の人でも、知る人ぞ知る祠である。僕が訪ねたときは長閑な風景に人の気配はなく、少し寂しい雰囲気だった。祠の前に、パック酒とペットボトルのコーヒー飲料が供えられていたのが、印象に残っている。
 伝説によると、ここは大谷吉継の首塚であるそうだ。大谷吉継は、越前敦賀城主(現・福井県敦賀市)として豊臣秀吉に仕えた戦国武将である。秀吉をして「吉継に100万の兵を与えて指揮をとらせてみたい」と言わしめた智将で、家臣からの信頼も篤い人格者であったという。
 大谷吉継といえば、石田三成との義のエピソードが有名である。共に近江出身ということもあり、2人は固い友情で結ばれていた。関ヶ原の合戦では、当初、徳川軍に加わるはずだった吉継は、親友の三成も説得したという。しかし、戦で負けることになっても、恩義のある豊臣家を裏切ることはできないと主張する三成に心を打たれ、吉継も西軍として参戦し、敗戦を悟った瞬間に自刃して果てたといわれている。敵に首を取られることを良しとしなかった吉継は、家臣に命じて自分の首をどこかに隠させたらしい。
 これは推測だけれど、その首塚が関ヶ原から離れた米原の畑の中にあるのは、故郷である琵琶湖の側に埋葬してほしいという、吉継の遺言だったのではないだろうか。
 智将であった吉継にちなみ、この祠に参れば、頭痛が治るご利益があるといわれている。そして、お供え物としてはいささか不釣合いなパック酒とペットボトル……。おそらく歴史好きな女性「レキジョ」たちの手によるものではないかと考えている。
 実利より友情を選んだ大谷吉継は人気の戦国武将で、ゆかりの地をめぐるレキジョは年々、多くなっているらしい。戦国時代の義のドラマを感じるこの場所で、歴史上の物語を知っている人にだけ、違った風景が見えるスポットなのである。

大谷吉継は余呉町小谷(おおたに)の出身といわれている。言い伝えでは、子どもの出来なかった両親が集落の八幡神社に祈願したところ、神社の境内の松の実を食べればいいと神託があり、その通りにして生まれたのが慶松、後の吉継であるという。また、今でも、字名を「おだに」や「こたに」ではなく、「おおたに」と発音するのは、この地域を治めていた大谷氏にちなんでいるといわれている。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

水源

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