江展望 2011
三姉妹の祖母 阿古のふるさとを訪ねる
浅井長政の母は「阿古(あこ)」という。江ら三姉妹の祖母である。高時川の中流、長浜市高月町井口が阿古の故郷だ。
阿古の父である井口弾正経元(いのくちだんじょうつねもと)は、浅井家に仕える武将で、現在の富永小学校一帯に屋敷を構え、近くの真言宗豊山派の寺、理覚院は井口氏の菩提寺である。
「経元は浅井家の忠臣でした。長政の祖父・亮政の代のときにあった箕浦の合戦で、経元は亮政の身代わりとなって討ち死にしたと伝わっています。浅井家ではその忠義に応え、亮政の子であり、のちに長政の父となる久政のもとへ阿古を嫁がせたそうです」。
理覚院の檀家で、寺の世話役をされている松井ソトエさん(85)、松井恭江さん(78)、松井道子さん(69)が教えてくださった。阿古のことを知りたいと思ったからだろうか、偶然にも各家の女性に揃ってご案内していただいた。
また、井口氏は代々、湖北を流れる高時川の水利権を統括する「井預かり」であったことから、浅井家は自領への水利権を優位にするため、久政と阿古の婚姻を進めたとも考えられている。
残念ながら、阿古についての記録はほとんど残されていない。もちろん、阿古と三姉妹にどのような交流があったのかもわからない。「大河ドラマでも描かれていましたが、久政は、長政と敵方の信長の妹である市の結婚を快く思っていなかったはずです。阿古も夫である久政の手前もあったでしょうから、孫をお守りするというようなふれあいはなかったように思うのです」と道子さんは推測する。
小谷城が落城する際、阿古は捕らえられ、信長の怒りによって指を数日に分けて切り落とされた後、殺害されたという記録が『嶋記録』という文書にある。「信長にしてみれば、長政の母ということでの憎しみが相当あったのでしょう」。
井口の界隈を歩いた。時代が違っていれば、三姉妹は「おばあちゃんの家に遊びに行く」ということだってあったのかもしれない。戦国時代、それこそあってはならぬ、悲惨な時代である。静かな、何か落ち着く集落の雰囲気のせいだろうか……深い悲しみに似たものが襲ってくるのである。
参考資料
- 企画展「井口理覚院の仏像と井口の文化財」展示解説資料・高月観音の里歴史民俗資料館(2011年)
- 「戦国大名浅井氏と北近江 浅井三代から三姉妹へ 」長浜市長浜城歴史博物館・企画・編集・発行サンライズ出版(2008年)
企画展「井口理覚院の仏像と井口の文化財」開催中
経元の肖像画などを展示(2011年12月まで)
高月観音の里歴史民俗資料館
滋賀県長浜市高月町渡岸寺229 / TEL: 0749-85-2273
開館時間 9:00〜17:00
休館日 毎週月・火曜日、国民の祝日の翌日(ただし5月2日は開館)
理覚院
滋賀県長浜市高月町井口113
電話予約で開帳・案内可(拝観料200円)
松井道子さん(0749-85-4356)もしくは松井恭江さん(0749-85-4617)
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
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