淡海の妖怪

カワコモチ

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 多賀町 2012年1月31日更新

犬上川対岸の小白丸を祀る祠

 理由があって、淡海の妖怪を再考することになった…。DADAをよく知っている人ならば「ああ、なるほどそういうことか」と、数ヶ月後の未来を予想することができるに違いない……。

 大瀧神社(犬上郡多賀町富之尾)の境内社に祀られる「稲依別王(いなよりわけのみこ)」についてである。「犬上」の地名の元になったと考えられている。
 三説あり、一説は、稲依別王は日本武尊(ヤマトタケル)の一の王子で、農桑の業を民にすすめ、「稲神」と崇められた。「稲神」がなまり「犬上」となった。もう一説は、遣隋使・遣唐使として知れられる犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)の一族・犬上氏は犬上郡発祥の豪族で、稲依別王の後裔にあたる。
 そして三説目は、源頼朝が関係している。ここに、「川古母血(かわこもち)」という妖怪が登場する。大きな鼎(かなえ)のような姿だという。鼎は3本足の土器のことで、現在でも3名による座談会のことを「鼎談(ていだん)」というのはこれに由来する。
 『淡海落穂集』によると、昔、多賀の辺りに二人の荒くれ者が住んでいた。この二人はそれぞれ犬を飼っていて、一方は鹿、もう一方は小白丸という名だった。この二人が二匹の犬を連れて狩りに出たときのことである。大瀧神社の辺りで、ひと息入れていると、小白丸が大声で鳴きながら二人に襲いかかってきた。二人の荒くれ者は「無礼な犬め」と小白丸を斬り捨てたが、周囲の様子がおかしい。もう一匹の鹿は一声も鳴かず、ただ淵のほうを見据えて動かない。二人が淵の底を見に行った途端、白黒の大きな鼎のようなものが淵から出てきて二人の足に糸を巻き付かせて水中に戻っていった。二人の荒くれ者は石を水中に投げ込んだりして抵抗しようとしたが、すべてはじき返されてしまった。恐ろしくなった二人は、天照大神に一心に祈ると、その妖怪は水中に姿を消したという。主人の危機を知らせようとした小白丸を斬り捨てたことを後悔した二人は、ここに宮を建立し、小白丸を犬首(いぬかみ)大明神として祀った。それまで白石郡と呼ばれていたこの辺りは、しばらくして犬首郡と呼ばれるようになったという。この話を聞いていたく感動したのが、鎌倉幕府を開いた源頼朝である。頼朝は、日本中にこれ以上ない忠犬がいた土地として、地名を犬上郡と改めたという。そのとき、頼朝の家来が「この小白丸が吠えついた妖怪は川古母血というものでしょう。かつて伊豆の海中にも出ました」と言ったそうである。
 ちなみに、三重県鈴鹿市辺りに伝承されている河童は「カワコボシ」とも呼ばれる。小白丸が戦った妖怪は、足が3本の河童だったのだろうか。皿があり足が3本、鼎に見えなくもない……。河童が糸を操り水に引き込むという話は滋賀県にも伝わっている。
 後になってしまったが、大瀧神社に伝わる最も知られる稲依別王の話は、次のようなものだ。
 『その昔、稲依別王が狩に出て昼寝をしていると、大蛇が現れ頭上から狙おうとした。連れていた犬(小白丸)が主人を守ろうと吠えたので、稲依別王は目を覚ますが、小石丸が猛然と吠え続けるあまり、太刀で犬の首をはねてしまった。その首は大蛇の頭に噛みつき、そのまま一緒に川に落ち、大蛇は死んだ。稲依別王は命を守ってくれた忠犬の首をはねたことを悔やみ、この地に弔いの松の木を植えた。それが犬胴松である』。
 大瀧神社に面する犬上川は、奇岩の間を流れ「大蛇の淵」と呼ばれている。
 ところで、多賀大社所蔵の『賀参詣曼荼羅』の右下には、稲依別王らしき人物と小白丸らしき白い犬、滝を背景に対峙する龍が描かれている。龍神だろうか。龍の指は3本。鼎が象徴する数である。
 稲依別王、小白丸、川古母血、犬上御田鍬を追いかけ、紡ぎ直せば、水を治める歴史が明らかになるのかもしれない。

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