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淡海の妖怪

明治の英国人 リチャード・ゴードン・スミス

このエントリーをはてなブックマークに追加 2021年3月30日更新

 『日本の昔話と伝説』(『An-cient Tales and Folklore of Japan』)に登場する「淡海の妖怪」の話である。著者リチャード・ゴードン・スミスは、明治31年(1898)12月、長崎に到着し8年余りを日本で過ごしたイギリス人である。大英博物館から正式の委嘱状を得て、日本政府の許可のもと博物館資料の収集を行い、そのかたわら日本の昔話や伝説を集めた。その数は250話にのぼり、『日本の昔話と伝説』にはその一部57話が収録されている。250話のうち淡海の伝説は74話(琵琶湖7、竹生島21、近江46)。収録された57話中には、「琵琶湖伝説(1)(2)(3)」、「竹生島と鶴亀姉妹」、「蛍の復讐」(近江の国明星村)、「牡丹の精」(近江の国蒲生郡)の6話がある。
 前回、「死んだ明智の幽霊の蜘蛛火」(The Spider Fire of the Dead Akechi)の話をしたがこれは「琵琶湖伝説(1)」、ゴードン・スミスが膳所の漁師から聞いたである。
 明智光秀は山崎の戦い後、土民に殺害されたというのが定説だが、坂本城の籠城戦で不本意な死を遂げ「死んだ明智の幽霊の蜘蛛火」となったという話である。雨降りや荒れ模様のときには、城の方から五寸(15センチ)くらいの人魂が現れ、舟を難破させ、航路を間違えさせたりする。舟のなかに入ろうとし、竹竿にぶつかり火の粉になって飛び散ることもある。こういう場合は、舟の多くは沈んでしまうという。
 実は、週刊新聞滋賀民報(株式会社滋賀民報社  tel. 077-525-3400)に連載させていただいた「淡海の妖怪」其の五十五(最終回)が「死んだ明智の幽霊の蜘蛛火」だ。機会があれば読んでいただければ幸いである。
 さて、「琵琶湖伝説(2)」は、湖の東南小松村の話である。お谷という学問好きな娘がおり、湖を渡って比叡山の麓にある小さな寺の若い僧のもとを何度も訪れた。お谷は博識な僧に心を奪われ、自分と駆け落ちしてくれるよう頼んだ。僧は、「もしもあなたが2月25日の夕方、たらいに乗ってこの湖をうまく渡って来られたら、私もこの墨染めの衣を投げ棄て、僧職にあることも忘れて、あなたの願いを叶えてあげることも可能かもしれません」と告げた。お谷はその日、一番上等の一番大きいたらいに乗り疑いもなく浜を出発する。湖を半分ほど渡ったとき比叡山で嵐がおこり風がすごい勢いで湖上に吹き荒れた。哀れにもたらいはひっくり返り、お谷は波の下に沈み浮き上がってこなかった。以来、2月25日は荒れて嵐になるという。
 小松村は、昔の滋賀郡にその名があるが、現在の大津市から高島市にかけての湖岸であり、お谷がたらいで湖を渡る必要がない。「湖の東南 小松村」はどの辺りだろう。
 『守山往来』(ふるさと近江伝承文化叢書)によく似た話が載っていた。硫磺夜祭伝説物語(樹下神社)である。
 湖西比良村の角力部屋に八紘山と名乗る一力士あり。湖東鏡村に於いて興行をなせし時、お満んと云う一人の娘が其の力士の容貌といい其の力量といい優秀なるを見染め、遂に恋に慕うところとなった。八紘山は、それほど己に想う心があれば百夜の願行が成就すれば妻にしてもよいと云う。お満んは人目を忍び毎夜今浜の灯籠崎より盥(たらい)に乗り杓子を以て水を掻き湖を渡り行けるが……とある。現在は、力士八紘山は「八荒」として伝承されているようである。
 僧が力士に、お谷がお満んになっているが、あらすじは同じである。ゴードン・スミスが記した「湖の東南小松村」は、今浜ではないだろうか。
 今浜の樹下神社では、毎年旧暦2月24日に硫黄夜祭が行われ、硫磺夜祭の的を作って献上する。この的は、たらいに蛇体となった女の姿を苧麻(からむし)で作り、これに御幣をつけたものだという。
 3月下旬、季節の変わり目になると、「比良の八荒」という強い風が吹く。湖を隔てた恋の物語は切ない。

 ところで、蛇体となる女性の話は多い。時には龍女だったりする。余呉湖の菊石姫は7〜8歳になると肌に蛇の鱗のような模様が現れ、人目をはばかり仮屋で乳母に育てられた。浜で子どもたちにいじめられている蛇を助けた若い漁師がその夜、一人の美しい娘と出会い、夫婦となって子どもを授かるのは「三井の晩鐘」にまつわる話である。酒呑童子は伊吹山の大蛇の息子だったりする。
 湖西の比叡山、湖東・湖北を隔てる琵琶湖、たらいと蛇……、隠された秘密が封じられていそうな気がしてならない。

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