ソラミミ堂

鮎たちの沸点

このエントリーをはてなブックマークに追加 2009年9月13日更新

 この夏の沸点は、どのあたりだったのでしょう。
 僕はまたうかうかと、通り過ぎてしまった。
 お構いなしに、秋は進んでいます。


 琵琶湖に注ぐ河川では、産卵のため、小鮎の遡上が続いています。
 湖北の漁師松岡さんから聞いた話が、僕には忘れられません。
 今から四十年ほども前、湖産の鮎の稚魚が欲しいという人があり、松岡さんは、はるばる東の多摩川へ、放流しに行ったのだそうです。
 ここで放す、と相手が示したその水を見て、松岡さんは、ここは駄目だと直感します。
 相手に説いてみるものの、その場へ放流せよと言うので、ついに、稚魚たちをそこへ放した。 
 一瞬の間があり、そのあと何が起こったか。
 稚魚たちは、まるで電気に撃たれたように、一斉に岸にはね上がったというのです。ひっくり返った稚魚たちで、足元いちめん白くなったというのです。
 放流直後の一瞬の間は何かといえば、稚魚を生かして連れてきた、水槽の水もろともにザバザバあけた、その水すなわち琵琶湖の水がその場所に滞留していた、その間であった。
 多摩川は今、「水の力」を取り戻し、鮎を養うまでになったと聞いています。
 ところが琵琶湖の「水の力」は年々弱くなっている。四十年後の、松岡さんの実感です。


 続々と小鮎の群れがのぼっています。
 川上の、流れが細く浅くなるあたりでは、魚の影で川面が黒く見えるほどです。
 子孫を残す——ただひとつ、未来への衝動につきうごかされた、いきものの迫力。
 鮎たちの、いのちがわきたつ。パシャパシャ、キラキラと魚は跳ねる。
 生命の沸点。
 やがて来る明日には、川原に、川底に、腹をすかせた鳥たちのまえに、豪勢に、何万もの死骸をさらすことになる。
 いつか見た小鮎の秋は、あれは「祭り」のようでした。
 そのいのち、その身のすべてを、未来への捧げものにして、あらゆる生は、あす来る死への前夜祭。
 そのありさまはお前の目には「ずいぶんさんたんたるけしき」だろうが、わたくしたちから見えるのは「やっぱりきれいな青ぞらと、すきとほった風ばかり」だと、すっかり気化した鮎のいのちがどこかでクスクスわらうようです。

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