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ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂 53 未来にたてこもる

このエントリーをはてなブックマークに追加 2021年7月23日更新

イラスト 上田三佳

 「No Future No Children! きれいな空気やきれいな水が保障されず、安全と言えない世界では、私は子どもを産みません!」
 カナダ在住の十八歳のエマ・リムがこのような宣言をかかげて、環境危機への大人たちの一層真剣な取り組みをせまったところ、たちまち同世代の何千人もの子らの賛同をあつめ、合言葉として世界中にひろがった。
 生まれてくる子には子の可能性や意思もあるとおもうから、この宣言には全面的には賛同しかねる部分もあるが、エマたちがこの宣言へと駆り立てられた気持ちはわかる。もっとも、そのような宣言に子や若者を駆り立てる要因をつくった大人の一人としては、そんなことを言えた立場ではないが。
 国破れて山河ありと言われてきた。人間の運命にかかわらず、自然は永続するもの、変わらずにありつづけるものと思われてきたが、いまや人間とその国々がきそって山河を破っている。
 百年時代を生きることになる子供や若者たちのなかには、自分の寿命が尽きる日よりも先に、自分たちの生存環境が破滅を迎えるのではないかと心から案じている子らも多い。なのに大人たちはもごもごといいわけしながら手をこまねいている。
 そこでやむなく彼女らは、まだ見ぬわが子つまり未来をいわば「人質」にする作戦にうって出たのだ。この作戦は功を奏して、多くの人の目をさまさせた。
 いっぽうで、未来への不安と現在への幻滅がエマたちのような前向きな怒りではなくあきらめや罪の気持ちに転化して「私たち人類は生まれてきてはいけなかったのではないか」とか「子を持つことは悪いことなのではないか」と考えて、生まれてくること・生むこと自体に反対だとする「反出生」の気分がひろがるきざしもあって心配だ。
 未来は未ダ来タラズと書く。現在と未来のあいだで交わされたもともとの示しあわせでは、現在が未来にとびこんでいくのではなくて、現在のただなかに未来がうまれ出てくる手はずになっている。
 ところが未来がそれをこばんで未来のなかにたてこもるとき、その文字どおり未来は未来のすがたのままでついには死産されることになる。

 

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