邂逅するソラミミ堂52 卒業はまだか
教室という
きゅうくつなフライパンから
いたたまれずにとびだした
アツアツのポップコーン
いっぽうぼくらは
あわててうつわに戻そうとして
あちちと手を焼く
おっちょこちょいのちちははでした
学校という
ほのぐらい宇宙をひとり
サテライトめざしておよぐ
こころぼそいアストロノーツ
いっぽうぼくらは
あさってに向けたアンテナで
おとといの声を拾ったりする
あてにならない地上クルーでした
ハラハラドキドキ
ヤキモキオロオロ
ドタバタジタバタ
ウキウキワクワク
オヤコ トモドモ
スリル マンテン
元気いっぱいのポップコーンにして
勇敢なアストロノーツ
われらがムスメ
6年間の任務完了!
(「卒業証書」R3.3.22)
娘が無事小学校を卒業した。
行きしぶりからまだら不登校を経て、途中本人もぼくたち親も本当につらい修羅場を経験したが、友だちのいたわりや先生のはげまし、そしてご近所の見まもりのおかげで、彼女なりの居場所を見つけ、笑って卒業することができた。めぐまれていた。ありがたいことと思う。
きみたちは決して「おちこぼれ」なんかじゃない。むしろ元気な「ポップコーン」だ。きみたちがいまいる場所は取り残された「別室」じゃない。「サテライト」。あたらしい宇宙を目指す飛行士たちの前線基地だ。
そんなことばで子らをはげますふりをして、じつは自分にいいきかせていたのだと思う。
ちょうどこの子らの世代は統計上、その半数が百七歳以上まで生きることになるという。そうなると「学ぶ」「はたらく」「人生」がごっそり変わる。「学校」「就職」「退職・余生」のわずか三つのステップをみなが一斉行進するような時代は終わる。いつでも学び、いつまでも学ぶ。そんな時代になるのです。
とか言いながら、いざわが娘の話になるとたちまち不安の虜になって、親とはつくづく情けないものだ。ぼくは教師のはしくれでもあり、だから、それでも「学校」というアイデアは人類がつくった良きものの一つであると信じていたいのだと思う。
卒業できるかできないか。ぼくらが問われているのだと思う。