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風伯の記事一覧

  • 2013年1月15日

    そこはインド&ネパールだった! お店
    インド&ネパールレストラン デリー

     インド&ネパールレストラン「デリー」は、昨年6月にオープンした店で、そこは確かにインド&ネパールだった。おかしな表現だが、インド&ネパールなのである。  まず、色彩が異国である。次に匂いがスパイシーである。そしてBGMがインドであり、お店の人が全員インドの人なのだ。インドやネパールに行った経験がなくても、テレビ... 続きを読む

  • 2012年7月16日

    「石田三成の記憶」と「大坂の陣 供養碑」 まち・文化

     大坂の陣、冬の陣は慶長19年(1614)、夏の陣は慶長20年(1615)……。関ヶ原合戦後の二重講公儀体制が破綻し、豊臣宗家は滅んだ。二重講公儀体制とは、「基本的に豊臣・徳川の共存共栄を図る構想であり、東西分治のもと両勢力の棲み分けによる共存戦略であった」(『関ヶ原合戦と大坂の陣』笠谷和比古著・吉川弘文館)。 ... 続きを読む

  • 2012年7月4日
    No Image

    空海が昼飯喰った場所 まち・文化

     米原市上丹生の松尾山は、天武天皇9年(680)に役小角(えんのおづぬ)(=役行者)が修行のために入山したと伝えられる霊地である。松尾寺は、霊仙七カ寺の一つとして隆盛し、現在に残る唯一の寺だ。近江西国33カ所の13番札所でもあり、江戸時代には山中に56坊が建てられていたという。ご本尊は 十一面観世音菩薩と聖観世音菩薩の... 続きを読む

  • 2011年7月21日

    関ヶ原の英雄 大谷吉継は余呉町出身!? まち・文化

    大谷吉継の首塚の伝承がある祠(米原市下多良)  慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いにおいて石田三成との友情に殉じ徳川家康と戦った大谷吉継(越前敦賀5万7千石)は高潔の士としてよく知られている。裏切りが横行する戦いにおいて友情を貫き、東軍に寝返った小早川軍と勇壮に戦う吉継に魅力を感じる人は多い。一説には、不幸にし... 続きを読む

  • 2011年1月19日

    2011 湖東・湖北 波うさぎ再び まち・文化

    波兎 五個荘金堂町の民家の波うさぎ 東近江市の垣見天神社の波うさぎ  実は、『波うさぎ』文様コレクターである。古くから人気のある文様で家紋や陶磁器によく使われている。前回の誌面で少し触れられていたが、『波うさぎ』の文様は別名『竹生島文様』と呼ばれ、その名は謡曲『竹生島』の 緑樹影沈んで 魚木に登... 続きを読む

  • 2010年12月30日

    年貢を納める まち・文化
    彦根市南三ッ谷町 常光寺

    常光寺の梵鐘は「暁、夕べ、声を発して、十方に至る」といわれ、一里四方に響き長夜の夢を破る名鐘だった。昭和18年、太平洋戦争のため供出、帰らぬものとなった。写真は梵鐘供出当日に撮られたもの(常光寺蔵)。現在の梵鐘は檀家の均等喜捨と信徒・縁者の寄付により鋳造された3代目となる。  2010年12月19日は延命山常... 続きを読む

  • 2010年8月24日

    灯りのイベントと僕らの闇 まち・文化

    ビアレ・ルーチェの様子  近頃、「灯り」のイベントが多い。長浜の大手門通り一帯で、8月6日(金)・7日(土)に開催されたビアレ・ルーチェ(イタリア語で「灯りの並木道」)もそのひとつだ。  今年で11回目、テーマは「ヒカリのミチシルベ」。黒壁ガラス館の「ベッラ・ストラーダ」という灯りのイベントも同日開催される。大... 続きを読む

  • 2010年5月1日

    化粧川 まち・文化

     中山道高宮宿を流れる五社川の別名を「化粧川」という。 『久徳城主久徳氏の姫が高宮城主高宮三河守に輿入れの際の持参金ならん持参水であって、昔から水利の悪い高宮での姫の化粧の水に不自由させないための久徳城主の親心から引かれた川だとのいいつたえである。』素敵ないい話だと思った……。しかし、文章には続きがある。 『(... 続きを読む