江展望 2011
米原・徳源院にて、初と京極高次

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2011年3月31日更新

手前の白い石廟が京極高次の墓

 浅井三姉妹のうち、三女の江は二度の結婚を経て徳川家へ、長女の茶々は豊臣秀吉に嫁ぎ、次女の初は18歳で京極高次と結婚している。江や茶々の結婚は、三姉妹の保護者役であった秀吉の政略が垣間見えるが、初と高次はどのような結婚だったのか気になっていた。
 京極高次は、浅井長政の姉・京極マリアの息子で、初とはいとこ同士で、幼い頃から交流があったとされている。小谷城には「京極丸」という曲輪があり、高次はここで出生したといわれている。北近江の守護大名だった京極氏は浅井氏の主君にあたり、京極丸は浅井氏が京極氏の居所として築いたものだ。
 高次は戦国の乱世に翻弄されてきた武将である。織田信長に仕えるが、本能寺の変後、明智光秀に味方したため秀吉に追われ、柴田勝家に頼るが柴田家も秀吉に滅ぼされてしまう。 その頃に高次の妹・龍子(松の丸・姉の説もある)が秀吉の側室になった縁で、秀吉から助命され、初との結婚はそのあとの話だ。
 高次の墓があるのが旧山東町の清瀧寺徳源院だ。高次の死後、京極家の菩提寺として整えられ、鎌倉時代から明治維新までの歴代の墓が並んでいる。

道誉桜(2010年4月8日撮影)

 ご住職の山口光秀さん(63)にお話をうかがった。
「子どもの頃から高次と初とのことを描いた水上勉の小説『湖笛』を読んできたので、それに影響されている部分はあるかと思いますが、ふたりは人間味のある結婚生活を送ることができたのではないでしょうか。秀吉にとって自分の利益に大きくはつながらなかったでしょうから」。
 京極氏は近江源氏として知られる佐々木氏の一族で、名門の地位をもち、伊吹山麓に上平寺城を築くなどして勢力を伸ばすが、浅井氏の台頭で衰退していた。その名を再び盛り返したのは高次だった。
「高次は自分なりの判断でそれぞれの武将に仕え、苦労して京極家の再興をはかろうとしました。そんななか旧知の初の人柄に好意をもち、一方で初にとっても、おちぶれたとはいえ名門京極家への憧れもあったでしょう。きっとお互いに惹かれていったように思います」。
 ところであまり知られていないのだが、お寺には高次が産湯に使ったと伝わる井戸が残されている。小谷城出生説もあるので、興味津々である。
 春。徳源院では有名な「道誉桜」が花開く。京極家5代「婆娑羅大名」の名をもつ高氏お手植えと伝わるしだれ桜である。『湖笛』の文庫本をバックに入れて、満開の桜の空を見上げてみたいと思っている。

 

清瀧寺 徳源院

滋賀県米原市清滝288 / TEL: 0749-57-0047
拝観時間 9:00〜16:00/不定休
拝観料 300円(山口さんによる寺の案内・説明あり、小中学生無料)
しだれ桜の見ごろは4月上旬ごろ

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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