藁細工で伝えるもの

野村源四郎さん

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2017年12月30日更新

 「稲は一つも無駄がないのや、実は食べる米、藁は縄やら俵、草鞋になり、田んぼを耕す牛の餌にもなって、田にすきこんだら肥料になるしなぁ。ほして、米は連作できるのもほかの作物と違うすごい作物なんやで」と教えてくれたのは東近江市大沢町に住む野村源四郎さん(90)だ。
 野村さんは農政事務所の前身にあたる食糧事務所に長く勤務、兼業農家でもあり公私ともに米作り一筋に歩んできた。「昔の農家は、冬の間はずっと藁仕事をしたもんで、正月二日がその仕事始めやった」。野村さんの記憶では、俵を作らなくなったのは昭和30年代、むしろや草鞋は昭和40年代、昭和50年代には藁仕事そのものをする人は殆どいなくなったそうだ。藁仕事が消えることを惜しんだ野村さんは、30年ほど前から趣味で干支飾りや宝船などの縁起物をつくるようになり、地元に農産物販売所「湖東美咲館」ができると農村らしいものを販売したいと12月を迎えるとしめ縄や干支飾りを出品するようになった。
 この間、藁細工名人として、小学校や公民館に出向いて指導したり、作品の展示会を開いたり、その活動は県外まで広がったそうだ。そこでは、藁細工の技術と共に前述した“稲のすばらしさ”も伝えてきた。今年11月にはその功績に対し「滋賀県文化功労賞」が贈られた。
 野村さんが作るしめ縄や干支飾りは150円~600円ほどで販売されている。「高いもんは売れへん。材料代はただみたいなもん」と笑う。9月に刈り取った藁は、天日干し後ハウスでも1カ月ほど自然乾燥する。鶯色ほどの緑色が残る藁が飾り物には喜ばれるので乾燥には気を使う。そうして藁をそろえる「藁すぐり」、柔らかくする「藁打ち」を行い、例年11月を迎えると迎春用の飾りを作り始める。「昔は、自分の家のしめ縄はみな自分で作ってやったんやで」。野村さんは、お金を払えば何でも手に入る時代を悪いとは言わないが、創意工夫があれば自分で作れるものがたくさんあり、役に立たないと思うものも活かすことができることを実践し、教えてくれている。きっと、元気で長生きの秘訣はそこにあるに違いない。ちなみに野村さんの年賀状は、藁細工の干支を写真にとって印刷するのが長年のパターンになっているそう。干支作りはもうふたまわり以上たち、「一番難しかったのは龍やな。簡単なのはヘビや」。戌はどちらなのかお聞きするのを忘れてしまった。

 

光流

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