初詣は雪がとけてから

伊吹山2合目 上杉謙信を祭る神社

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2010年1月12日更新

1合目を登り切ったところにある「上杉大明神」の石碑

 2010年の初詣は、「上杉神社」と決めていた。伊吹山2合目にあり、上杉謙信を祭る神社である。伊吹山の麓の案内看板にもちゃんと松尾寺本堂山側に「上杉神社」と記されているから、その存在だけは知られている。ただ、その神社が、「義」を重んじ、戦国時代を生きた上杉謙信を祭っていると知る人はほとんどない。
 上杉謙信は享禄3年(1530)の生まれ、幼名は虎千代、元服し景虎と名乗った。「虎」である。また、謙信は自らを「毘沙門天の生まれ変わり」と信じ、「毘」の文字を旗印にしていた。毘沙門天の神使は「虎」である。「義」と「毘」、上杉謙信。伊吹山2合目の新雪を踏み分け、初心を祈る初詣にこれほど相応しい神社があるはずはない……、そう思った。
 伊吹町史には次のように書かれている。
『上杉神社 祭神 上杉謙信 伊吹山松尾寺境内にある。棟札には享保11年(1726)「願主宮田景豊 四代慧観智」と記されている。景豊は要門(上杉流軍学)の継承者であり、松尾寺慧観和尚に帰依した。たまたま謙信の150回忌に当り上杉神社の建立を志し、御供田料五拾三両並びに宝剣を奉納して祭祀を依頼したものと思われる。』
 享保ということは、8代将軍徳川吉宗の時代だ。戦国時代に衰退した松尾寺は、江戸時代に彦根藩士により黄檗宗の寺院として再建され、また、宮田景豊は若狭小浜藩士である。滋賀県の伊吹山に上杉謙信を祭る神社があること自体とても不思議で、魅力的である。

やっと辿り着いた松尾寺

 正月、僕は天候の回復を待っていた。そして1月4日、遂に快晴。麓から登山道を登った。雪の登山道を登るのは初めてである。予想以上に辛い。とにかくキツイ……。 1合目を登り切る直前、「上杉大明神」の石碑があった。
 麓で、「松尾寺にも上杉神社にも誰も居ないよ。行っても何も無いよ」と言われていただけに、こういう発見は実に嬉しい。
 白山神社の鳥居が見え、稜線をなぞると、松尾寺の建物も見える。1時間以上かかった登りが報われる瞬間である。雪が無ければあと15分か…といったところだろう。しかし……誰も歩いていない。ルートが無い。
 僕は、雪が踏まれた登山道で高度を上げ、横に進みながらと考えた。僕は松尾寺を目指していた。誰も踏んでいない雪は深い。場所によると股下まで埋まる。四苦八苦、それでも何とか辿り着いたが、そこから動くことができない。すぐそこのはずなのに、写真におさめることもできなかった。時刻は、午後3時過ぎ……甘かった。もっと高度を上げ、「上杉神社」を目視してから進めば良かったのだが、悔いても仕方がない。次は辿り着ける。
 初詣は雪がとけてからでいい。ここまで来ることができたことで、良しとした。春までにはもう少し「上杉神社」について調べることもできるだろう……。
 というわけで、残念ながら、「上杉神社」の写真を掲載することは叶わなかったけれど、今年もよろしくお願いします。

注意

悪天候の場合や中途半端な装備では危険です。もしも冬期に「上杉神社」へ行かれる方は、充分な装備をし、万全の注意を払い登るようにしてください。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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