豊国さんの虎石
加藤虎之助清正が寄進した庭石
JR長浜駅北側にある豊国神社は、長浜のまちの基礎を築いた豊臣秀吉を祀る神社だ。地元では「豊国(ほうこく)さん」の愛称で親しまれている。
境内のひょうたん池のすぐそばに「虎石」と呼ばれる大きな石が、木々に囲まれるようにしてひっそりとある。秀吉の忠臣であった加藤清正が寄進した庭石である。この石には伝説が残されている。
——秀吉が築城した長浜城に庭園が造られたときに、清正が庭石を寄進した。この庭石を秀吉はたいそう気にいっていた。秀吉亡き後、江戸時代に庭石は大通寺へ移設されることになった。それから庭石は夜毎に「いのう(帰ろう)、いのう」と泣き叫んだという。そこですでに廃されていた長浜城内の敷地に戻し、時を経て、秀吉が祀られた豊国神社へと移された——。
清正は、秀吉と同郷の尾張出身で、幼名を夜叉丸(やしゃまる)、9歳の頃から秀吉に仕え、終生豊臣家に献身した武将である。元服してから加藤虎之助清正を名乗った。信長亡き後の後継者を柴田勝家と争った賤ヶ岳の合戦では、七本槍の一人として活躍し、勝利に導いた。
「虎石」は「虎之助」にちなんで名づけられたといわれている。
「虎」といえば清正は「虎退治」の逸話も有名だ。
——秀吉の朝鮮征伐で出兵した清正は、現地で猛虎の群れと遭遇し、可愛がっていた部下の一人を食い殺されてしまった。清正は敵を討つべく虎の群れを退治。さらに当時精力剤としても知られていた虎を、秀吉の土産にと日本に持ち帰った——とも伝わる。
秀吉を祀る「豊国神社」は長浜だけではなく、秀吉ゆかりの地に建立されている。ただし、「ほうこく」と読むのは、長浜と秀吉が大坂城で統治したことに由来する大阪市の豊国神社だけで、他は「とよくに」神社だ。各地の豊国神社はそれぞれ合祀されている神などがそれぞれ違っている。長浜の豊国神社では清正も祀られ、りりしく銅像も建つ。今も秀吉を守護する役目を果たしているといえるだろう。
ところでこの虎石にちなんだお菓子を見つけたのだ。長浜市立長浜図書館にほど近い和菓子店「丸 屋」さんの「とらの石」。
虎石のミニチュアを連想するころんとしたかわいい形の栗饅頭である。白餡と赤餡の2種があるのは、虎石もひとつではさみしいだろうからお菓子はつがいにしたのだとお店の方が教えてくださった。
来年の干支は寅。虎つながりの縁起をかついで、豊国さんに詣で、とらの石をお土産に…と考えている。
豊国神社
滋賀県長浜市南呉服町2-4
TEL: 0749-62-4838
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
【椰子】