湖の畔、淡海の時空が育む古典笛
古典笛師 尾本玄翠さん
笛を作る人と出会った。尾本貢一さん(59)。「古典笛師」の肩書きで雅号は「玄翠(げんすい)」。古典笛とは篳篥(ひちりき)や竜笛、能管などを指し、雅楽や能、歌舞伎に用いられる。メディアでもよく見かける東儀秀樹さんは篳篥の演奏者である。
「もともと音楽好きでトランペットやピアノなどを演奏しますが、17年ほど前に多賀大社の雅楽講座に参加したんです。以前から雅楽の荘厳な感じが気に入っていたのですが、習ううちに演奏よりも楽器の仕組みや原理に興味をもち、独学で篳篥を作ってみたのが始まりでした」。
篳篥制作への関心は衰えず、退職を待って「重要文化財保存技術保持者」である京都の雅楽器師に弟子入りし、本格的な伝統製法を学んだ。
「五線譜がないんです。手の動き、そして耳で聞いて音程が合わせられないといけない。師匠には演奏できなければ作れないと言われました。篳篥しか吹けなかったので竜笛や能管などの横笛は弟子入りしてから覚えたんです」。
尾本さんはこともなげだが、いわゆる絶対音感のようなものを備えた人でなければ、叶わぬ世界のように思えた。
古典笛の制作には30〜40もの工程がある。笛の本体は竹だが普通の竹ではいけない。茅葺き屋根に使われてきた煤で真っ黒になった女竹を使う。100年以上の長い時を経て、竹に浸み込んだ煤が独特の響きを作る。笛のサイズに合う竹を探し、唄口と指孔を調律しながら穴を開け、内面に漆を何度も重ね塗る。笛の表面を飾るのは染色した籐の糸だ。すべて天然素材、伝統の手作業で、1管の完成には少なくとも2ヶ月かかるという。
「自分でもよく飽きないなあと思います。師匠からは笛を作るために生まれてきた人やな……と言われました」。
長年民間企業での研究開発に携わっていた尾本さんは現在、近くの大学に勤めている。その合間、早朝と夜が作業時間だ。
「滋賀は近江猿楽や曳山祭りに代表されるように古くから伝統芸能が盛んであり、邦楽器を使う音楽に馴染んでいます。煤竹は湖東や湖西に残る茅葺きの家の解体時にいただいてくるんです。篳篥の蘆舌(リード)は近江八幡の葦が最高です。さらに彦根には仏壇製造での漆塗りの伝統もある。材料も使う人も滋賀にはいっぱい。だから、作ったり修理できる人もいればいいですよね」。
尾本さんの作る古典笛は全体的に少しふっくらして、ふくよかで優美な姿が特徴だ。音にもふくらみが出て、時空を超えてゆったりと流れる調べに……、琵琶湖を抱くこの地にふさわしい音色であるように思う。
古典笛師 尾本玄翠さん
滋賀県彦根市八坂町2019
TEL: 0749-24-7312
注文、修理を受け付けている。相談も可。
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
【いと】