南三陸・田の浦の3.11

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2013年3月25日更新

 今年も3月11日の夕暮れに東日本大震災の被災地である宮城県南三陸町田の浦の港にキャンドルが灯った。これは滋賀県立大学の教員や学生らが中心となって活動する「田の浦ファンクラブ滋賀サポートチーム」が企画しているもので昨年に引き続き2回目となる。今回は助っ人として「彦根キャンドルナイト」や「高宮の心を東北へ」のメンバーが参加。その他にも彦根をはじめとした多くの人々がサポートし東北へと送り出した。
 昨年のキャンドルナイトは海から引き上げられた船や漁具の山に囲まれ、電気も開通していないところでの開催だった。今年、港に行ってみると丘にも海にも重機が入り、大規模工事現場になっていた。海中の瓦礫撤去、岸壁のかさ上げ、海水に浸った田の土の入れ替え…。丸2年経って未だこの段階なのかという感もあるが、やっと本格的な復旧が始まっていた。そしてそれらの重機に囲まれるように、つい最近屋根がかかった集荷所に日々の忙しさを感じさせる漁具がおかれている。
 今、早生のワカメの出荷が最盛期を迎えている。昨年は田の浦の漁師全員が助かった数隻の船に乗り合わせて一緒にワカメを育てていたが、今年は違う。船が増え、個人または数軒がチームを組んで仕事をしていた。来年にはもっと船が増え、きっとほとんどが個々で仕事をするようになるだろう。隣同士が競争相手、そんな漁村の日常が戻りつつある。
 さて、11日は水たまりに厚い氷が張るほどの寒さになった。ワカメの仕分け作業をする田の浦の人たちの誰からともなく「毎年この日は寒いんだよね」という話が出る。「あの時も津波のあと雪が降ったいっちゃ。寒くてっさぁ。あれから毎朝まずお湯を沸かすのが仕事になったのっさ。ガスも電気もないから火を焚いてね」とある女性が語る。その女性の淡々とした語り口調と周りの相づちに、この2年間日常の中で幾度となくこのような話が語られ、その度に話の角がとれ丸みを帯びてきたのだろうと思う。
 午後2時46分は港にキャンドルを並べるうちに迎えた。サイレンが鳴り響く。昨年は田の浦の人たちの黙祷の列にメンバーは混ぜてもらったが、今年浜に立ち黙祷を捧げたのはメンバーと数人の田の浦の人たちだけだった。私たちがこうして儀式的に黙祷するのは、自分自身がこの日を忘れぬ為なのかもしれない。被災地が日常である人たちにとってこの日は一体どんな日なのだろうか、私たちが祈れることは何なのだろうか。
 日が暮れ、キャンドルが灯る。灯りが生み出す空間と時間に、それぞれが何かを思い考えただろう。それでいいのだろうと思う。

れん

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