風光随一、隧道を抜けて春の絶景を!
インターネットを見ていたら『約18.8kmのドライブウェイに樹齢20年から25年の桜(ソメイヨシノ、八重桜等)が約4000本咲き乱れます』奥琵琶湖パークウェイの説明があった。どちらかといえば、メイン混雑する道を避け、「ひとり感」を感じながら走るのが好みだ。だから、僕の春の計画は「湖北隧道」(長浜市西浅井町八田部 / 月出)を抜けて見る春の奥琵琶湖の絶景! なのである。
昨年から、僕は湖東・湖北の大正時代から昭和初期にかけて竣工した隧道(ずいどう・すいどう)がお気に入りである。「隧道」とは、トンネルの古風な呼び方で、湖東・湖北の隧道のいくつかは、美しい意匠を持ち、設計者は「村田鶴(むらたつる)」という人物だった。村田鶴という人物とその設計にも興味はあるが、何故、隧道に惹かれるのか……。多分、古風な呼び方のそれはほとんど忘れられてはいるけれども、訪ねていけばそこに在り続けていてくれるからかもしれない。「ひとり感」に近いものがあるのだ。
さて、湖北隧道は、「設計者の名前は伝わっていないものの、意匠へのこだわりが見られることや建設年などから村田鶴の関与が考えられている。」(『 道 を拓いた偉人伝』永富謙著 イカロス出版)
『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』には『題額に「風光随一」とあるように、八田部口から続く山裾の道からこの隧道を抜けると前面の眺望が開け、眼下に琵琶湖を見ることになる。延長162.30m、幅5.7m、高さ4.68m。題額は「風光随一」および「湖北隧道 伊藤書」。(中略)景観に配慮した隧道として価値が高い』と記している。
せり出した部分の角や、アーチの角の丸みが美しい。丁度、春の絶景に合わせたのだろう、昭和9年(1934)3月31日の竣工だ。
湖北隧道は「湖北周遊道路」の路線上に造られた隧道らしい。湖北周遊道路を調べてみると、延長約2.4kmの新道で大正9年(1920)に木之本から始まり、海津大崎周辺は昭和10年の着工。昭和11年の完成だ。昭和27年(1952)の航空写真を見ると、そこには奥琵琶湖パークウェイも国道303号線も写ってはいない。月出から八田部へ抜ける道路を辿ると大浦・海津大崎へと続いている。かつてはこの道しかなく、湖北周遊道路ができる以前は湖上交通に頼るか峠を越えるしかなかったのである。
「風光随一」。湖北隧道完成から79年。春の絶景を隧道を抜けて感じたいものである。
【小太郎】