江國寺の波兎
彦根市本町にある江國寺の大黒堂の竹生島文様(一部)である。金箔を背景に跳ぶ波兎を見たのはここだけだ。
大石内蔵助は江國寺の大黒天像に、常に念じ続けたといわれている。『大黒天之由来』には『常寺に安置奉る所の大黒尊天は往昔元禄三年播州赤穂の城主浅野内匠頭の忠臣無二の遺人大石良雄が常に念づる処の本尊にして此の大黒天尊の像は一刀礼拝の下に彫刻完成せし逸物にして當時比叡山の阿闍梨たりし光顕大僧都が一百日の護摩の供養をして開眼されし尊像なり』と伝えている。「大石良雄」とは、忠臣蔵の大石内蔵助(1659〜1703)その人である。
大黒天と竹生島文様には何か関係があるのだろうか?
大黒天の信仰が一般に広まるようになったきっかけは大黒天と大国主命の習合によるといわれている。これは、大国主命の大国と大黒の音が通じ合うことから、両者が同一視されるようになったことによるらしい。大国主命=大黒天ならば、前回のDADAで書いたように、大国主→竹生島文様(波うさぎの文様)という連想は可能だろう。
竹生島文様を探すならば、大黒天、大国主を祀る場所を眺めてみるのが良い。連休が終わる頃には、幾つか新しい在処を見つけておくことにする。
【小太郎】