御幸橋と無賃橋

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 愛荘町 2021年6月30日更新

明治24年の御幸橋(画像提供:土木学会附属土木図書館)撮影時期:明治24年(1891)10月撮影

 5月、愛荘町立歴史文化博物館の展示が面白いと書いた。6月、博物館から7月の夏季特別展「愛智河架橋略史—無賃橋と御幸橋—」の案内が届いた。愛知川無賃橋190年・御幸橋架替60年記念、愛荘むら芝居「愛智河架橋」連携企画として行われる。
 僕にとっての「無賃橋」は彦根市高宮町の犬上川に架かる橋のことだった。学生の頃、「むちんばし」という音だけでどんな災害にも沈んだことのない「無沈橋」だと思っていた。大人になり「不沈橋」と書かないのは深い理由があるに違いないと考えていた。「無賃橋」は通称で、正式名称は「高宮橋」であることを知ったのはこの仕事をするようになってからだ。そして、愛知川にかかる「御幸橋」もまた「無賃橋」だというのだ。愛荘に暮らす人々にとっては、「高宮橋も無賃橋なのか!」ということになる。
 さて、御幸橋と無賃橋の話である。夏季特別展のチラシに解説があった。
  江戸時代、頻繁に洪水を引き起こす 「暴れ川」として知られていた愛知川。 当時、人々は愛知川を渡るために、川渡しを業とする川越人足や仮設の橋(勧進橋)を利用していましたが、 路銭を持たない旅行者は自力で川を渡ろうとし、水かさの増した急流に飲まれ溺死する事例がしばしば起きました。 当時の愛知川が「人取り川」の異名を取る由縁です。
 天保2年(1831)、 愛知川村の成宮弥次右衛門(忠喜、1781-1855)は、近村の素封家らとともに、銭を払えない人々でも渡橋できる無賃橋(太平橋)を愛知川に架橋します。 架設資金の調達や金銭的補償など、 橋の完成までの道のりは険しかったものの、渡橋式は大勢の人出で賑わいました。
 展覧会では、無賃橋の架設にまつわる古文書や絵巻のほか、その系譜に連なる「御幸橋」に関する資料を展示します。
 天保2年は彦根藩が小林吟右衛門・馬場利左衛門・藤野四郎兵衛らに命じ犬上川の無賃橋が完成した年である。勝手な想像だが現代でいうCSRやSDGsブームだったのだろうか。社会の課題を解決しながら飢饉普請(ききんぶしん)のような事業でもある。実に興味深い。
 愛知川に架った無賃橋は安藤広重の木曽街道六拾九次の「恵智川」に描かれている。無料で渡ることができる橋はさぞありがたかったに違いない。
 では何故、正式名称が御幸橋なのか? 実は天保2年には南橋・中橋・北橋と無賃橋(板橋)は3つあった。
 明治11年(1878)明治天皇の御巡幸のために馬車の通る板橋が架けられ、無賃橋(太平橋)の名前が「御幸橋」と改められた。その後、幾度か流失と再架を繰り返し、明治24年(1891)に竣功したのが写真の木造トラス橋である。
 現在の国道8号線と並行して架かる近江鉄道の鋼製トラス橋は明治31年(1898)の完成である。御幸橋が次に架け替えられるのは大正15年(1926)である。28年間愛知川には木製と鋼製のトラス橋が並行して架かっていたことになる。写真は残っていないものだろうか……。
 他にも新選組は中山道を使った。南橋・中橋・北橋のどの橋を渡ったのだろう。渋沢栄一は? 徳川慶喜は? 僕の妄想は不沈なのである。

 

令和3年度夏季特別展 愛智河架橋略史 —無賃橋と御幸橋—

会期 令和3年7月17日(土)~8月27日(金)10:00~17:00(入館は16:30まで)

学芸員による展示解説

日時  令和3年8月1日(日)・22日(日)11:00~11:30 / 14:00~14:30
参加  費無料(要入館券)

愛荘町立歴史文化博物館
愛知郡愛荘町松尾寺878番
入館料:一般300円、小・中学生150円
無料入館日:8月14日(土)・15日(日)
休館日:月・火曜日(祝日、8月9日は開館)
TEL: 0749-37-4500
https://www.town.aisho.shiga.jp/hakubutsukan/

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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