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山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り 2

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2018年4月5日更新

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(90)和子さん(90)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。「愛おしいもの・コト・昔語り」は、私が聞いたなかでも、これはと思った、或いは伝えておきたい山内さんの記憶である。今回は「オコナイ」に関するものだ。
 1月から3月には湖北地域の多くの集落で「オコナイ」が行われる。ご夫妻が住む古橋でも、3月初めにオコナイがあった。オコナイを正確かつ詳細に説明することはとても難しいので省略させていただくが、古橋のオコナイではオコナイを受けた頭家(トウヤ)の家で神仏にお供えするお餅をつき、翌日に頭家の家からお餅を供える行列が出て薬師さんらに供え、その後に持ち帰り戸数分に切り分け配分、トウヤの家では「後喜び(あとよろこび)」と呼ばれる宴の席が設けられるというのが流れだ。喜平さんは「昔に比べて、簡素化された部分もある」と話された。
 古橋は町内が6つの組に分けられていて、6年目毎に各組にオコナイが回ってくる。トウヤを受ける家は組の中で決めるそうだ。喜平さんがトウヤを受けたのは昭和63年で、ご存命だった喜平さんの父・喜四郎さんは「父・自分・息子と生涯に3度もトウヤを受けることができた、ありがたいことだ」と喜ばれたそうだ。喜平さんは「トウヤを受けられることは誇らしく幸せなこと、周囲への感謝を深める機会だ」と言われる。いつものように色々とお尋ねするとなんでも教えて下さるご夫妻である。今回、印象深かったのは以下のお話だった。
 「隅に置けないっていう言葉、知ってるやろ」と喜平さんはにやりと笑った。昭和2年生まれの喜平さんの記憶の中のオコナイは昭和9年から始まる。その時喜平さんはもちろん6歳である。オコナイの最後は組の人たちが集まり宴になるが、この年までは、正式な本膳で行われていたそうだ。喜四郎さんは町内の役員で、喜平さんは喜四郎さんに代わって家の代表である「家役」として参加したそうだ。
 本膳なので正式な盃を用い、正装した給仕が上座から酒を注ぎに回る。喜平さんによると、「“盃事  と呼ばれる正式な席で使われた盃は、2合ぐらいが入る大きな茶碗だった」とのこと。隅の人の所まで来ると必ず「途中で酒が切れました、失礼いたしました。すぐにお持ちします」と給仕が徳利を変えるのがしきたりで、新しい徳利が来ると、先に注がれた酒を飲みほして新たに酒を受けるのがならいなのだとか……。「だから、隅に置けないは、下戸は隅に置けないっていう意味なのよ」と喜平さん。なるほど、隅に座った人は人一倍お酒をのむことになるわけだ。
 さらに、「膳にはお吸い物が付くやろ、うまそうな具がはいったったんで一口すすって、具も食べた。そしたら、ボン、具は食べたらあかん。汁を飲むと2杯目をついでくれやる。具は2杯目から食べるんやでって教えてもろうた」という。
 6歳の喜平さんが、大人にまじって本膳に参加していたことも驚きなら、そこで色々なことを教える大人が居たこと、80年以上経ても喜平さんの記憶にその教えがしっかりと刻まれていることに、びっくりしたり、ほほえましい風景が浮かんだり、喜平さんの緊張はいかばかりだったのだろうと思ったり……。
 現代では随分と薄れてしまったが、長男や跡継ぎという言葉が特別な意味を持ち、本人も周囲もそれを認め、地域で子どもを育てていた時代が確かにあったのだと思う。
 「昔は後喜びで余興もしゃあった。割木を行商するみたいに天秤棒にぶら下げて“魚屋でござーい。カレイに鱈とタコ  って売り声をしゃあった、わかるか?」
 「枯れたら炊こう、や」。割木は枯れるとよく燃える、なるほどである。

光流

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