山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り
先月、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(90)が、伊吹大根復活に尽力されたお話を書いた。蒔いた種の80パーセント近くが基本形の伊吹大根に育つようになるまで20年近い歳月を要したが、この間、畑には毎年200本近い規格外の大根が育っていたことになる。
奥さまの和子さん(90)は、「形の悪い大根を他人様にあげることもできず、千切り干しにして嵩をへらしたり、漬物にするのに日当たりの良いところに干さねばなりませんが、人目がありますから形の良いものと悪いものを組んで、形の良い方が目につき悪い方が隠れるように干したりもしましたね」と話してくださった。
喜平さんは伊吹大根の復活に取り組んでいることを人に話すこともなく黙々と作り続けるが、和子さんの耳には「形の悪い大根を作って、何を考えておられるのやら」という近所の人の声も聞こえてきたそうだ。「挫けそうになったこともありました」と微笑む和子さん。「でも、ただ独り作り続けていたおばあさんから種を託された責任感と、何百年も生き続けてきた伊吹大根が愛おしく思えて」と、ひたすら喜平さんを支えることができたそうだ。和子さんの支えは、何よりも心強かったに違いない。「二人して恋をしたんですね、伊吹大根に」とまた微笑まれた。
訪ねる度色々な話を聞かせて下さるお二人。「こんなん知ってる?」と見せてくださったのは、和子さんの伯母が米寿の祝いにと持参された 茶袋と扇子だ。茶袋は麻の布を自ら縫って作られた物で、扇子には文字もしたためてある。「この年になっても針仕事ができます、文字も書けます、歩けますと感謝を込めて準備し、隣村から歩いて持ってきてくれましたんや」と遠い昔を思い出してくださった。「男の人はな、竹藪から竹を切り出し、屋根の上にあがって升かけを作られたものです」。
お金をかけることなく、感謝の気持ちを伝える 米寿の祝い である。かつては米寿を迎えた人が手作りして周囲に配った……。祝われるのではなく感謝する……。何とも心がほっこりするお話だ。
茶袋は、茶粥を作る際に茶葉を入れる袋で、升かけは升で量る際に入れたものを擦切る際に使い、広辞苑には「升掻」と掲載されている。茶袋も升かけも、今では目にすることもなく、知らない人も多いだろう。お二人は、そんな先人の知恵や地域にあった風習などを伝えたいと小冊子にまとめることもしておられる。紹介できたらうれしいと考えている。
【光流】