謎の角度2 存在しない場所

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2016年4月4日更新

Alfred Parsons『NOTES IN JAPAN』 より

 イギリス人水彩画家アルフレッド・パーソンズ(Alfred Parsons 1847〜1920)は、明治25年(1892)に日本の風景を描いた。そして5月末から6月はじめにかけて、彦根の楽々園と天寧寺で1ヶ月を過ごした。パーソンズはイギリス王立水彩画家協会の会長を務め、三宅克己、大下藤次郎、丸山晩霞、石井柏亭など、日本の水彩画家たちに大きな影響を与えた人物だ。著書『NOTES IN JAPAN』は、パーソンズの日本滞在の記録である。その中に彦根城を描いたものがあるのだが、何処から描いたのか判らないという(DADA
627)。

彦根城上空を快翔する陸軍飛行機(大演習の彦根) sugihara collection

 この謎の角度の絵のことを教えてくれたのは、江竜美子さん(滋賀大学経済経営研究所)だが、以来、ずっと気になって、同じような角度の古絵葉書を探し手に入れたこともあった。きっと人気のアングルなのだろう、何種類もこの角度の彦根城を見つけることができる。 例えば『彦根城上空を快翔する陸軍飛行機(大演習の彦根)』の絵葉書は、太鼓門櫓は木に覆われ見えないが、天守と天秤櫓はほぼ同じ角度である。湖東平野で秋季陸軍特別大演習が行われたのは大正6年(1917)。明治から大正にかけて天守横に大きな木が生えていたことが判り、パーソンズのアングルは、『彦根城上空を快翔する陸軍飛行機(大演習の彦根)』よりも右側であることが判る。

近江 彦根城  sugihara collection

 そして……、僕はようやく念願のパーソンズのアングルを特定できる『近江 彦根城』という古絵葉書を手に入れた。
 天守、天秤櫓の角度はほぼ同じだ。松の木だろうか、樹木の具合はパーソンズの時代よりも少し成長しているようだ。太鼓門櫓は木に覆われて見えていない。パーソンズはこれより更に右側で描いたのだろう。
 現在、彦根城は石垣や櫓を見せるためか、樹木の伐採が行われている。季節が進めば葉が生い茂り、見通しが効かなくなるだろう、今がチャンスである。僕は『近江 彦根城』の古絵葉書のポイントに立つために出かけた。

 ところがである。あるはずのその場所が存在しないのだ。
彦根城に登ったことのある人ならばほとんどの人が知っているだろうこの場所は、鐘の丸売店横である。今は休憩所になっているところだ。
 写真は判りにくいかもしれないが、天守最上階の屋根の端と天秤櫓、落とし橋が写っている。僕は石垣の端に立ち撮影している。これ以上右へ行くことはできない限界であり、求める角度は、中空であることが判った。つまり、パーソンズの絵や古絵葉書の写真を撮ることができる場所がないのである。『近江 彦根城』の古絵葉書では石垣がまだ右に伸びていそうであるにもかかわらず……。
 パーソンズがスケッチした場所は古絵葉書の場所で間違いはないだろうが、謎は解けていない。ますます解らなくなった。この謎はかなり手強そうだ。

 

編集部

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