謎の角度1 近江インバウンド

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2016年2月4日更新

 近頃、「インバウンド」という言葉をよく耳にする。JTB総合研究所の観光用語集には「インバウンド(inbound)とは、外から入ってくる旅行、一般的に訪日外国人旅行を指す。海外旅行はアウトバウンド(outbound)という」とある。人口減少問題、都市間格差の問題からインバウンド誘致に国や地方自治体が取り組んでいるため「インバウンド」という単語を覚えるつもりは無かったが、何不自由なく会話の中で使うことができるようになった。
 しかし考えてみれば「インバウンド」は今に始まったことではない。鑑真だって、織田信長の時代にやってきたルイスフロイスをはじめとする宣教師たち、三浦按針、鎖国時代のポルトガルやオランダの人々、文明開化、政府が招聘した外国人や日本に憬れやってきた人々など、皆、インバウンドだ。国策として使われる「インバウンド」とは違うが、近江のインバウンドに興味を覚えた。DADAジャーナルが何時まで続くか判らないが、しばらくの間『近江のインバウンド』というタイトルで近江を訪れた外国人を探してみることにする。こういうテーマは、何一つとして世の中に貢献するわけでもなく、役に立ちそうにもないが、僕は気に入っている。
 第1回は、アルフレッド・パーソンズ(Alfred Parsons 1847〜1920)。明治25年(1892)に来日したイギリス人水彩画家である。イギリス王立水彩画家協会の会長を務め、三宅克己、大下藤次郎、丸山晩霞、石井柏亭など、日本の水彩画家たちに大きな影響を与えた人物だ。教えてくれたのは、江竜美子さん(滋賀大学経済経営研究所)だった。「パーソンズは9ヶ月間日本中を歩き、明治中期の日本の風景を描きました。5月末から6月はじめにかけて、彦根の楽々園と天寧寺で1ヶ月を過ごし、そこで出会った人たちととても仲良くなります。夏を鎌倉、日光、箱根、富士山で過ごした後、10月に再び彦根に戻り、彼は長浜祭りにも出かけています」。
 実は、アルフレッド・パーソンズは、今も世界的に高名なバラの図鑑として知られている『バラ属』(The Genus Rosa)の図版を制作した人物だ。ボタニカルアートの分野でパーソンズの名を知る人は多いのではないだろうか。

 『NOTES IN JAPAN』は、パーソンズの日本滞在の記録だ。江竜さんは『100年前に描かれた彦根 イギリス人水彩画家アルフレッド・パーソンズの話』(2007年)を著し、その中でパーソンズの描いた風景を実際に歩いている。ところが、一枚だけ何処から描いたのか判らない絵があるという。それが写真の彦根城(THE CASTLE AT HIKONE)だ。描かれた建物は天守、太鼓門櫓、天秤櫓だろうと推測はできるが、謎の角度なのである。
 実際に僕も歩いてみたが、確かにパーソンズが描いただろう場所が見当たらないのだ。彦根城鐘の丸から天秤櫓へ続く廊下橋の辺りを想像していたが、絵の角度には至らない。こうなるとどうしても突き止めたくなるのが性分である。イギリス王立水彩画家協会会長、『バラ属』の図版を残したアルフレッド・パーソンズの視点を探したい。
 絵をよく見ると天秤櫓だと想像した手前の櫓は樹木で覆われるのではなく屋根が途切れている……、何故か?。明治25年当時の彦根城はどのようだったのか、その辺りも調べなくてはならない。陸軍が管理していたようにも記憶しているので、一般人や特に外国人は彦根城内には入ることができなかったかもしれない……。
 パーソンズの「謎の角度」でこの冬も退屈はなさそうである。

雲行

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