3.11

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 東近江市 2014年3月11日更新

彦根市下西川町

 東日本大震災により被災された方々に改めて心からお見舞い申し上げます。
 東北地方を中心として、日本列島に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、3年。震災関連のニュースも以前ほどには報じられなくなり、多くの被災地では今も復旧・復興のための努力が続けられている。
 3月15日土曜日、彦根の清凉寺で行われる「三成の戦2」のイベントでは、義援金募金箱が設置されると聞いた。
 戦国無双3という戦国アクションゲームの中で、直江兼続は、「義」とは、人の心にある大事なものを守りたいという気持ちであり、「大一大万大吉」という文字は、一人が皆のため、皆が一人のために尽くせば、天下は幸せとなる、と石田三成に語って聞かせている。「大一大万大吉」は、石田三成の旗印だ。
 僕らにできることは限られている。今、再び「義」を信じ、「大一大万大吉」の言葉のもと、同じ気持ちで集い、被災地支援のための募金に協力したい。

東近江市伊庭町

 ところで、僕は仕事に外へ出るとなかなか帰ることができない道草の天才と呼ばれたことがある。
 先日も、彦根市下西川町で「明治二九年九月十二日洪水最高標」を見つけて独り感動し帰ることができなかった。調べてみると、西川町、 石寺町、上岡部町、甲崎町、薩摩町、柳川町などにも洪水最高標が存在することが判った。しかも、こういう発見は続くもので、東近江市伊庭町の集落にもあった。
 明治29年9月3日から12日の10日間で1008ミリの雨量を記録。浸水日数は237日に及んだという。実は、この洪水が起こる直前の、明治29年3月に、治水対策として淀川改良工事の計画が決定していた。9月の洪水は、この計画の想定していた洪水の規模を超えるものだったが、見直しは行われないまま、明治38年に南郷洗堰を設置、明治44年に淀川改良工事は終了している。
「明治二九年九月十二日洪水最高標」が、今も存在し続ける理由を、僕らにできることを、東日本大震災と共に考えなければならない。ぞっとする高さなのだ。

参考

小太郎

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