零戦

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2013年9月30日更新

 二宮金次郎のことを書いていて「零式艦上戦闘機」のことを考えた。二宮金次郎像は「皇紀2600年に当たり、銅像建立もピークにだったようである」というくだりでだ。宮崎駿監督のアニメ『風立ちぬ』も話題になっていたからでもあろう……。『風立ちぬ』は零戦設計者堀越二郎と、文学者・堀辰雄の人生に、宮崎駿の思いを投影した作品である。
 皇紀2600年とは、日本書紀の紀年に基づき、初代天皇として神武天皇が即位した年、紀元前660年を皇紀元年と定めたことによる。皇紀2600年に当たる昭和15年(1940)に、国威高揚のため各地で式典を行い、国を挙げて祝ったという。よく知られた話だが、「零戦」という通称で知られる大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、この皇紀2600年に採用されたことに因んだ名称で、皇紀2601年に採用された戦闘機は一式戦闘機(通称隼)である。
 さて、彦根総合高等学校近くにJRと近江鉄道の共同踏切がある。JRの踏切名が「近江航空」で近江鉄道が「近江帆布」という名前だ。戦時中、彦根でも零戦を作っていたのだ。踏切はその残滓である。
 近江帆布は西洋帆布を製造する会社で、明治30年に設立され、大正11年彦根の近江紡績(株)を合併、近江帆布(株)彦根工場となった。近江鉄道の近江帆布専用線があったのだ。昭和 19年、国への設備供出のため近江航空(株)に土地建物を譲渡。
「近江航空(株)は昭和18年設立された。ー中略ー  一式陸上攻撃機、雷電局地戦闘機、彗星爆撃機、零式艦上戦闘機の部品を製造、昭和20年には数機の零戦が組み立てられ、大津の海軍航空隊飛行場に湖上輸送されたともいわれる。」(新修彦根市史第12巻)。
 ちなみに、雷電局地戦闘機もまた堀越二郎の設計だ。
 『風立ちぬ』のメッセージはまたゆっくり考えるとして、まだあるかもしれない近江帆布専用線の廃線跡を探したいと思っている。

小太郎

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