七夕石に願いを……
七夕の季節である。牽牛と織女の語り継がれるロマンチックな物語だが、米原にも七夕石の名を持つ自然石があり、湖北の七夕伝説としてこんな話が伝わっている。
昔、天野川を隔てて仏教の修行を積んでいた雄略天皇(ゆうりゃくてんのう / 第21代天皇)の第四皇子、星河稚宮皇子(ほしのかわのわかみやおうじ)と仁賢天皇(にんけんてんのう / 第24代天皇)の第二皇女の朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)は、いつしか恋に落ちた。系譜の上では叔父と姪の関係にあり2人は修行の身である。逢うこともままならない恋だっただろう。その後、奈良興福寺の仁秀僧正(にんしゅうそうじょう)がこの地に伽藍を建てる際に2人のことを知り、皇子を牽牛に皇女を織女に見立てて共に祭った。
恋にうつつを抜かし天帝の怒りをかった牽牛と織女より、恋を糧に修行に励む星河稚宮皇子と朝嬬皇女の生き方が僕は好きだ。それ故、仁秀僧正も2人を祭ったのだろう……。
米原市世継の蛭子神社には、真新しい立派な「朝嬬皇女之御墓顕彰標」が建てられていた。次のようなことが書いてある。「蛭子神社所蔵の古絵図には、朝嬬皇女の墓は世継村にあり、場所は天野川の北方で琵琶湖岸の東方の地にあること、および神社境内に鎮座の「七夕石(別名吾嬬石)が皇女の墓標と特定されている」。
更に、蛭子神社の縁起には、7月1日から7日間の間、男は姫宮(蛭子神社)に、女は彦星宮(朝妻神社)に祈り、7日の夜半に男女2人の名前を書いた短冊を結び合わせて天野川に流すと恋愛が成就する……とも記されているそうだ。
そして、天野川対岸の米原市朝妻筑摩にある朝妻神社には「今尚朝妻荘内社廟存在人彦星塚号」と記された石塔があり、崇拝されてきたという。宝篋印塔が2基あり、僕にはどちらか判断できなかったが、文字が彫ってあるらしいことが判ったのは背の低い方の宝篋印塔だった。
ところで、蛭子神社の解説に「当社に恋の成就を願えば不思議の霊験によって必ずその思いがかなえられると言われている」と記され、朝妻神社の解説には「男性と付き合いたいと願ってお参りすると、その恋は成就すると伝えられています」とあった。
恋愛成就のハードルが低くなっている……。婚活や恋コン流行の現代に、これから注目する人も多くなるに違いない。
ただ、星河稚宮皇子と朝嬬皇女のように日々を精一杯生き、7日間共に祈ることができる相手だからこそ、恋愛成就を願う意味がある。自分自身の向上無しに、インスタントな恋愛成就はあり得ない……。
ところで、天空の物語のなかで僕は、2人のために天の川に翼を重ね橋をかけるカササギの話をとても気に入っている。カササギの漢字は「鵲」。
もうすぐ七夕である。星空のロマンチックな話としてではなく、カササギが橋をかけてくれるに相応しく生きてこれたかどうか、そういうことが問われる夜なのではないだろうか……。
【小太郎】