ラブ ソングス

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2013年5月29日更新

 大堀山という名前の山が彦根にある。別名を鞍掛山(くらかけやま)。また諸説はあるが、万葉集に登場する「鳥籠山(とこのやま)」の候補地のひとつとされる由緒ある山である。天智天皇の子・大友皇子と、弟・大海人皇子が皇位継承をめぐり国を二分した壬申の乱も「鳥籠山」で戦があった。
 僕がこの山に登ったのは、近代化遺産である鉱山跡があるからだった。
 標高約150メートル、整備された登山道があり、10分もかからなかっただろう……、彦根市内を見渡すことができる頂上に出る。途中に鉱山跡らしきものが二カ所あった。 昭和14年(1939)から採掘事業を開始し、昭和51年(1976)頃に廃鉱となっている。「製鉄業における鋼材の脱酵素剤・脱硫黄剤、あるいはマンガン電池製造時の正極に用いられることから、近畿地方では特に電池用マンガンが戦時中に軍事用として多数採掘された。」(『新修彦根市史 第三巻 通史編 近代』2009年)

 僕らの鉱山のイメージといえば人里離れた山奥だが、町なかでほんの少し前まで操業を続けていた鉱山があったのである。
 山頂には「東宮駐駕所」と記した石碑があった。裏には「明治四十五年四月二十七日 為陸軍参謀演習御見学」と書かれている。かつて「毎年のように陸軍の演習が湖東平野に展開された。(中略)中山道を中心に、南軍が大津方面から犬上川に戦列を敷き、北軍は米原方面から芹川に進軍して行われるのが常であった。明治四十五年、それは明治天皇が崩御される年で、代って東宮殿下がこの演習御見学の為、鳥籠山に登られたのである。」(『彦根郷土史研究24号』 彦根史談会 1988年)

 石碑は鉱山跡を訪ね、偶然みつけた近代化遺産だった。
 ところで大堀山は「恋」や「愛」にも繋がっている。

 淡海路の鳥籠の山なる 不知哉川 日のころころは 恋ひつつもあらむ
 
 犬上の鳥籠の山なる 不知哉川 不知とを聞こせ わが名告らすな

 万葉の時代に詠まれた二首を記した歌碑が登山道入り口にある。「不知哉川」は「いさやがわ」と読み、山裾を流れる芹川のことだとされ、鳥籠山と不知哉川は歌枕として、しばしば詠み合わされる。
 不知哉川という川の名前を「知らない」という意味にかけながら秘めた恋心を詠んでいるのである……。
 歌に詠まれるということは、鳥籠山と不知哉川は誰もが知る有名な固有名詞だったということだ。遡れば「戦い」「戦争」という歴史を物語る遺産だが、万葉の時代にはここに、どれほどの人が歌に思いを込めたことだろう。
 メールの無い時代に歌に詠まれた恋はどのよう伝わったのか。詠むだけで伝えなかったのか……。僕は遺産よりもラブソングスがずっと気になっている。

「鳥籠山を近世中山道の芹川渡河点で彦根市大堀町と正法寺町との境界をなす通称「大堀山」とし、不知也川を芹川とする」、「鳥籠山を彦根市正法寺町の正法寺山ないし付近の山塊とし、不知也川を芹川または原町から中山道に沿って南流する小河川とする」(『新修彦根市史 第一巻 通史編 古代・中世』 2007年)二つの説がある。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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