神域の道路と鉄路
寒い日だったけれど、日撫神社(米原市顔戸)へ行くことにしたのは日を撫でる、「ひなで」という愛おしい音に誘われたからかもしれない。
随分と古い由緒を持つ神社で、何かの拍子にピシリと空気が割れそうなくらい神聖である。少彦名命(すくなひこなのみこと)・息長宿禰王(おきながすくねおう)・応神天皇を祀る神社だ。『古事記』や『日本書紀』に登場する神々である。
僕の頭の中では、少彦名命は大国主命と、息長宿禰王は霊仙三蔵や羽衣伝説と、応神天皇は北欧神話の神オーディン(音が似ているから)と結びついている。いつかはちゃんと知識として知っておきたいと思っているが、『古事記』や『日本書紀』は苦手だから当分封印しておく方が良いと決めている。
さて、神域を示す鳥居は神社から400メートルは離れているだろうか、顔戸(ごうど)の集落の中に巨大な鳥居がある。多分、この鳥居が日撫神社の現在の一の鳥居だ。三差路の中央に建っていて、車が通ることができるようになっている。面白いのは道路に書かれた「トマレ」である。鳥居の外側に右折車と左折車を振り分け一旦停止を促している。合理的で至極配慮された仕組みである。つまり、日撫神社へ向かう車は鳥居をくぐり、神社から帰る車は鳥居の両脇で一旦停止をするようになっているのだ。どんなに交通事情が変わろうが鳥居は明治39年(1906)の建立以来、同じようにこの場所にあり続け、ここから先が神域であることを示している。
余談だが、彦根市に鳥居本という中山道の旧宿場町がある。その名の由来は日撫神社一の鳥居があったことにちなむという。
ところで、元伊勢(もといせ)の伝承が残る由緒ある坂田宮(米原市宇賀野)は神域を北陸線の鉄路が突っ切っている。太鼓橋を渡り、鳥居をくぐり、線路を越えて境内に入る。伊勢神宮を連想する美しい神社である。元伊勢とは、簡単にいえば、天照大神が伊勢神宮の内宮に鎮座する以前に祀られた伝承を持つ神社、或いは場所のことだ。『古事記』や『日本書紀』の頃の話なので封印を解くわけにはいかない。
ただ、神域を鉄路が走るというのはよほどの事情があったに違いない。
鉄道は、明治10年(1877)京都-大津間開通。明治15年(1882)長浜ー柳ヶ瀬間開通。明治16年(1883)長浜ー関ヶ原間開通。長浜ー米原間の開通は遅れて、明治22年(1889)である。思うに、近代化と共に一刻も早い鉄道網の整備を願う人々にとって、長浜ー米原間(長浜ー大津間)は最優先課題だったのだ。物流と地域の経済活性化を担う鉄道故に、坂田宮の神域を迂回せず真っ直ぐに鉄路は突っ切ることができたのではないだろうか……。
日撫神社といい坂田宮といい、鳥居から始まる妄想は寒さを忘れるほど楽しいものだった。『古事記』『日本書紀』は封印したままで、しばらく、鳥居に凝ることになりそうだ。
【小太郎】