" />

湖北の地で黒田官兵衛を思う その弐
黒田氏発祥の地・木之本町黒田

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2013年1月30日更新

 2014年に放映される大河ドラマの主人公、黒田官兵衛。彼に連なる黒田氏の出自がどこかには諸説あり、議論の種になっている。しかし近世福岡藩主となった黒田氏の子孫が認めたのが、近江国伊香郡黒田村(長浜市木之本町黒田)なのだ。
 黒田郷のほぼ中央に建つ集会所の左隣が黒田氏旧縁之地もしくは、黒田家始祖御廟所とでもいう場所にあたる「黒田御廟所」だ。黒田氏に詳しい西川與史雄さんによれば、この周辺は旧来より「構屋敷」と呼ばれ、黒田氏の館跡であり、その場所には個人の建物を建てないように伝えられてきた。屋敷跡の周囲には一町四方にわたって堀をめぐらせ、石垣を築いた跡が残るなど、中世の豪族の屋敷跡だったことは確かだが、黒田氏と結びつけるための  証拠  のようなものは見つかっていなかった。
 しかし今から40年ほど前の昭和48年(1973)、老朽化によって集会所の改築・整地に着手した際、「源宗清」と刻まれた御影石が見つかった。これは黒田氏の初代である黒田宗満の名であることがわかった。宗満の別名は「宗清」であり、黒田氏は佐々木源氏から連なる家であるためだ。当時の黒田氏当代であった14代目・黒田長禮さんが「石堂を造って祀ってほしい」と、費用を負担。現在の地に御廟所が造られたのだ。西川さんは「黒田氏のご子孫が認めた、黒田氏発祥の地が木之本なのです」と話す。この事実をもって、ひとつの答えだと考えてもいいのではないだろうか。少なくとも滋賀で暮らす私たちには、湖北出身の方が官兵衛への親近感が増すというものだ。
 翌年には黒田家当主を招いて御廟所完成式が行われ、同時に日本三名槍のひとつで、民謡『黒田節』にまつわる逸話の元ともなった「日本号」が集会所で特別公開された。現在は福岡市博物館に展示されているが、当時は門外不出だった槍。遠くからも人々が詰めかけたという。
 御廟所には「黒田氏家旧縁之地」と刻まれた石碑が建てられている。碑文は黒田家13代・黒田長成さんの筆によるもので、原筆は掛軸にされ、集会所で保存されている。また碑の右には、「源宗清」と書かれた御影石も安置されている。御廟所は広く一般に公開されており、いつでも見ることができる。
 木之本には官兵衛ゆかりの地としてもうひとつ「賤ヶ岳」がある。「賤ヶ岳の戦い」に参加した官兵衛は、佐久間盛政と相対したとされる。佐久間盛政が豊臣秀吉の軍が着陣したことを知らせるために打ち鳴らしたのが曹洞宗寺院「大澤寺」の鐘楼の鐘である。賤ヶ岳の合戦によって堂宇は消失したものの、本尊の十一面千手観世音菩薩は助けだされ、再建時に戻された。「祖先のいた地のすぐ近くに着陣したことに、官兵衛自身もなにか運命的な繋がりを感じたのではないでしょうか」と西川さん。大澤寺の鐘を官兵衛も聞いたのかもしれない。
 直接的に官兵衛と関係するものはないが、木之本にはほかにも官兵衛の肖像画をはじめ、さまざまな官兵衛ゆかりの場所や物が残っている。湖北から官兵衛を思うには最適の地。「聖地巡礼」ではないが、足を運んで地域の雰囲気や今も残る遺構を確認するのも楽しいのではないだろうか。

黒田家御廟所

滋賀県長浜市木之本町黒田里の内

龍頭山大澤寺
滋賀県長浜市木之本町黒田
拝観料 500円(拝観には要連絡)
奥びわ湖観光協会
TEL: 0749-82-5909

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

みなみ

DADA Journal 内の関連記事
スポンサーリンク