湖北の地で黒田官兵衛を思う (その壱)

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2013年1月18日更新

長浜城歴史博物館 再興天守

 「来年の事を言えば鬼が笑う」などというが、この新年に早くも来年の話だ。来年、2014年のNHK大河ドラマが『軍師 官兵衛』に決定した。文字通り、豊臣秀吉の参謀として知られる黒田官兵衛(黒田孝高・黒田如水)が主人公のドラマである。主演はV6の岡田准一さんだという以外まだ情報は出ていないが、早くも官兵衛ゆかりの地は盛り上がりを見せ始めた。滋賀県でも黒田官兵衛に連なる黒田家発祥の地と伝わる北近江・長浜では、長浜・木之本を「黒田家発祥の地」としたキャンペーンも実施されている。大河ドラマのスタートはまだ1年先だが、地域と主人公との結びつきを理解して、より深くドラマを楽しみたいところだ。
 黒田官兵衛と湖北地域の関係を、長浜城歴史博物館の太田浩司学芸員に解説していただいた。官兵衛と湖北との関係は3点に限られるという。

長浜城歴史博物館 太田浩司学芸員

 ひとつは、官兵衛に連なる黒田家の始祖・宗満(宗清)から6代目の高政までが、近江国伊香郡黒田村(長浜市木之本町)に在住していたという点。官兵衛は9代目のため、彼の曾祖父までが黒田村に住んでいたことになる。黒田氏はその後、備前長船(岡山県瀬戸内市長船町)、播磨姫路(兵庫県姫路市)へと移り、官兵衛の代には豊前国中津城(大分県中津市)の城主となり、息子・長政が筑前国福崎(福岡県福岡市)へと移って福岡藩の初代藩主となっている。
 ふたつ目の接点は、長政が人質として長浜城に送られていたことだ。早い段階で織田信長への臣従を決めた官兵衛は、長男の松寿丸(後の黒田長政)を人質として信長の元へ送り、居城であった姫路城を羽柴秀吉に提供したという。江戸時代の儒学者・貝原益軒が編纂した黒田家の公式記録『黒田家譜』にも、松寿丸が安土に連れて行かれ、信長の人質になったこと、信長が松寿丸を秀吉に預けたため、近江の長浜城に置かれたことなどが記載されている。『黒田家譜』には松寿丸が長浜城にいる時期、母里友信を鎧親に「鎧着初(具足始)」を行なったことなども記されている。

黒田長政が松寿丸と呼ばれた幼少の頃、人質として羽柴秀吉時代の長浜城で過ごしていた。長浜城天守閣跡には秀吉の銅像が建っている。

 最後のひとつは、天正11年(1583)に近江国伊香郡の賤ヶ岳付近で行われた「賤ヶ岳の戦い」に参戦したことだ。秀吉と柴田勝家の間で開かれたこの戦いで、官兵衛は佐久間盛政の猛攻にあうも奮戦し、守り抜いたと伝わっている。
 官兵衛と滋賀・湖北地域との関係は薄いようで濃く、深いようでそれほど深くないともいえる不思議なもの。しかし官兵衛が長浜の城下町を歩き、賤ヶ岳で力戦したことは確かだろう。太田学芸員も、「長浜城や長浜城下は官兵衛と秀吉が出会った大切な場所です。大河ドラマでも重要なシーンになるのではないかと期待しています」と話す。息子・長政が過ごした長浜城はコンクリートの再興天守になっているし、往時をしのぶ建物や碑などはほとんどない。それでも官兵衛が過ごしたであろう町や空間に足を運ぶことはできる。官兵衛と同じ空間に立ち、何を考えたかに思いを馳せて、官兵衛の人生を追体験するのはいかがだろうか。

 

みなみ

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