コンクリートの卓球台と絵葉書、そして愛の鐘

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2012年12月12日更新

 コンクリートの卓球台はかつて2009年2月8日発行のDADAジャーナルに掲載したことがある。DADAがまだ一色刷りだった頃だ。「セメント製の卓球台と藤棚は僕の外部記憶装置/結構、お気に入りの場所/今もこうして在ることの奇跡/卓球台から、何処まで行くことができる?」と言葉が添えてある。2012年師走、コンクリートの卓球台は今も外馬場公園にあって、相変わらず僕は何処へ行くこともなく、同じことを考えている。

 絵葉書……。
 12月23日まで花しょうぶ通り商店街にある逓信舎で「彦根の絵葉書展」(問い合わせ TEL:090-3267-7712)と題して、滋賀県立大学の細馬宏通教授の古絵葉書コレクションの展示が行われている。明治期のものもあり、そこには失われた風景が映っている。『明治期、まだ写真のほとんどは白黒だった。コロタイプと呼ばれる精密なモノクロ印刷の写真の上に、人が手で彩色を行った。この頃の絵葉書の色は、着物の柄や帯、小さな人物の紅、紅葉の一葉に至るまで、いずれも人の筆で入れられている』(展示キャプションより)。いずれも名所絵葉書だが、面白いのは彦根城の映ったものが少ないことだ。外国で見つかった彦根の古絵葉書は『いずれも判で押したように、玄宮園だった。そしていずれにも、白黒写真に丁寧な手彩色が施してある。明治期、外国で人気を博したのは、玄宮園の池の風景であり、池端にある茶室であり、和服の女性たちだったのだ』(展示キャプションより)。
 変遷する都市の対比も面白いが、当時の人々の「まなざし」を知る面白さが、古写真にはない絵葉書の面白さでもあるように思う。そういう意味では、名所として磯山、大洞の絵葉書があるのは何故だろう。かつて名所だった理由があるはずなのだ。細馬教授の著書『絵はがきのなかの彦根』 (淡海文庫)に解答に至るヒントは隠されているに違いない。

 そして愛の鐘……。
 今はもう失われた彦根銀座の空がある風景だ。愛の鐘と書かれてはいるが鐘らしきものは無く、多分、鐘の音をスピーカーから流したのだろう。ただ、僕は聞いた記憶はない。

 卓球台、絵葉書、愛の鐘……。懐かしいとかそういうことではなく2012年の師走まで、そして来年もずっと気になりつづけていくだろう類いのものだ。手が届きそうなのに届かない当時のまなざし……。指を丸めて眼鏡にして覗いてみても届かない。

小太郎

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